呪術開戦

タイ、カンボジアの紛争が、驚きのスピード停戦となった。だがカンボジアは呪術師を使ってタイに強力な呪いをかけ、タイもまた呪い返しを行うという、超自然レベルでの戦いが始まったそうだ。戦争よりずっとマシだから、「どちらも頑張れ!」である。

さてその昔、本物の呪術師に教えを受けたことがある。ガーナ人の伝統的なドラム奏者、アジャ・アディが、渡辺貞夫のツアーに参加中、地元でワークショップを開いてくれたのだ。アジャはドイツなどでも演奏活動を行っているが、ガーナでの立場はメディスン・マン。薬師のように聞こえるが、太鼓や祈祷などで病気を癒す祈祷師、呪術師、シャーマンである。教わったのはドラミングの基礎だけで、ガーナ国外では超自然の力は働かないと言っていた。そう聞いて安心なような、少し残念なような気がしたものだ。

呪術による治療など時代遅れに思えるが、今では保健も適用される漢方や鍼灸治療も、かつてはまじない同然に思われていた時期がある。さらに患者へのメンタルケアの効用など、「病は気から」の重要性も高まっている。魂を揺さぶるドラムの演奏が、病気のケアに有用であっても不思議ではない。へんてこ健康法に傾倒するのも良くないが、治るならなんでもいい程度に考えるのは、悪いことではないはずだ。

さてさて、アメリカの戦略国際問題研究所のシニア・アドバイザー、エドワード・ルトワックは、「戦争にチャンスを与えよ」という挑発的なタイトルの著書を書いた。地域の紛争に外国が支援や保護をすると、かえって長引いたり難民キャンプがテロリストの再生産の場になったりする。何千年にも渡って受け継がれてきた、地域には地域の解決法があるはずだから(それが紛争だとしても)それに任せよう。要するに放っておこうという内容だ。最近のアメリカのウクライナやイスラエルへの対応には、そんなそっけなさを感じることもある。そのせいかウクライナも、戦うのは自分たちでやるので、武器弾薬、資金面で助けてくれとしか言わない。

これは日本人も気にしなければならないところだ。台湾問題に巻き込まれたら、アメリカは駆けつけてくれるかという議論があるが、そりゃあ無理だと思う。「何千年もの歴史ある国同士なのだから、伝統的な紛争解決策があるだろう」と言われるだけだ。そうなると自分たちで戦うから、せめて武器と資金だけでもとしか言えないだろう。なんとか、陰陽術対仙術での代理戦争でお茶を濁せないだろうかと思う。

過熱するAI ー 温度的な意味で。

新しいAIデータセンター建設のニュースで、規模が4.5GW(ギガワット)とあった。GWというのは生半可な電力ではないはずなので、ChatGPTに聞いてみたところ、瞬間的に最大4.5ギガワットが必要になる施設という意味で、それを供給するには原発なら4~5基、大型火発3~6基、メガソーラー数十~数百機は必要で、日本の一般住宅300万世帯の年間電力量に匹敵する規模らしい。同じレベルで電力を消費する施設は、他のAIデータセンターががあるだけで、ほぼ存在しない。他分野の施設としては最大でもアルミニウム精錬施設の1GW(メガワット)程度らしい。こうなると電力コストも莫大で、年間数千億円規模の契約だという。

そして電力コストの半分は、冷却のために消費される。ハイスペックなPCはCPUが相当な熱を持つので、空冷用のファンがいくつもついているが、AIデータセンターは、このCPUよりさらに高性能なGPUやTPUが無数に密接して稼働するので、膨大な熱が発生する。空冷では冷却しきれず水冷や、サーバーをまるごと水に沈めてしまう液浸冷却なども行われている。立地もカナダやアイスランドなどの寒冷地や、海中に建設された施設もあるという。

家庭や事業所での省エネなどどこ吹く風のような話だ。これについては現在は過渡期であり、既存の技術で力押しに建設を進めているフシがあるが、さらに高集積なTPUの開発やAI管理による使用電力の最適化なども進められてはいる。AIデータセンターの電力消費は、資源と環境の面からも最前線の課題だ。誕生したばかりのものだけに、スケールの大きな知恵熱かもしれない。

終戦の日

8月15日は「終戦の日」。昔は終戦記念日と言った。いくら年寄でも当時生まれていないが、子ども時代にも敗戦の影響を感じることはあり、国内は経済成長を始めていたが、国際的には何となく肩身が狭く感じることもあった。例えば南極昭和基地が大陸から外れた島なのも、まともな国際活動の仲間には入れてもらえないということだったらしい。

一般人にとって、戦争中よりも戦後のほうが悲惨なことも多い。かつてポーランドはナチスドイツとソ連に攻め込まれた際、無駄な犠牲を出す前に早々と降伏した。賢明な策のはずだが、アウシュビッツを作られてしまった。ひ弱でも戦い続けてさえいれば、家族が収容所に送られることはないが、安易な領土の割譲は、その地の住民の運命を差し出すことになる。ヨーロッパ各国はそういう歴史の教訓が身にしみているから、ウクライナも、僅かな領土の割譲にさえ応じず戦い続ける。

父は終戦の時、なりたての陸軍少尉として静岡の連隊にいたが、玉音放送の翌日、自分と下士官を残して基地がもぬけの殻になっていた。許可なく基地を離れれば脱走兵である。しかたがないので、残った中で一番上官である自分が行使できる権限内で、自分と下士官たちに外出許可証を発行した。なので我々子どもにも時々、「今は休暇中なんだ」とうそぶいていた。シンドラーに例えるのは大げさだが、ナチスが近づいて来た時のポーランドのユダヤ人も、占領軍が来るに決まってる基地の日本兵も、似たような運命を覚悟していたはずなのだ。
サザエさんの作者長谷川町子さんは、終戦後、進駐軍が女性に暴行するという噂を聞き、自分が犠牲になる代わりに他の家族を助けてもらおうと家を飛び出したという。実際には何事もなかったらしいが、帰宅したときに家に鍵がかかっていたのが悲しかったと述べている。
その一方で日本が戦争をしていたことを知らなかった人もいたらしいが、戦後の苦境はすべての人が経験しなくてはならなかったはずだ。

それでも開戦は愚行だが、戦後にどんな苦境が待っていたとしても講和は偉業だ。毎年この時期になると、「平和ボケ」という言葉が聞かれるが、素晴らしい言葉だと思う。戦場の兵士の、どうか生き残ってそういう暮らしをしたい、もし自分が無理でも家族にはそうあって欲しいという願いを良く表しているからだ。おかげさまでということで、自分も、この時期には心ゆくまで平和ボケを満喫することにしている。