李子柒/蛋黄酱(蛋黄醤)

ハッピーイースター!などと、テンションの上がった記事を書くのはいいが、翌日もトップに表示されていて、興ざめな感じがするので、公開されたばかりの李子柒シリーズを。上がったばかりだというのに、すでに80万再生もされていた。

まずアヒルの卵を鶏に托卵させ、ヒナに孵す。このシリーズは鶏くらいならあっさり締めて食べてしまうので、ヒナを見てるとなんだか心配になるのだが、そのまま育てて卵を集めた。塩と泥を混ぜて卵に塗りつけ、瓶の中で1カ月保存する。これはピータンを作ってるのだろうと思ったら、塩で固まった卵黄だけ取り出した。この段階で卵黄の味噌漬けのようなものかと思ったら、乾燥させ、硬い部分を取り去り、粉砕して海苔や胡麻を混ぜる。のりたまを作ったのかと思いきや、硬い部分を取り去り、熱した油をかけた。そこまで手をかけたものをどう使うのかと思えば、炊きたての御飯に混ぜただけだった。一体蛋黄醤とはなんだろうと検索すると、マヨネーズと出てくるが、あきらかに別物だろう。ちなみにその後のアヒルたちの運命は描かれてないが、最初に鶏に托卵していたこと思い出して納得した。

李子柒/文房四宝

毎回中国の伝統的な生活文化を紹介する李子柒。今回は中国文化の精髄、墨、筆、紙、硯の文房四宝である。

まずは墨。2017年秋、竹を切って土器の器をくくりつけて、たくさんの煤受けを作る。土器の皿に桐油を満たし、燈芯を立てて火をともし、煤受けをかぶせて立ち上がる油煙を付着させる。煤を集めて水で洗い、そのまま一晩放置する。煤を集め、ザルにひろげてそのまま1年以上寝かせる。燃料に油ではなく松の木などを使うこともあるようだが、油煙を使うほうがきめが細かく上等は墨になるという。
2018年の秋、骨膠と牛革のゼラチンを湯に入れ、そのまま蒸す。書いたときに墨色に青みがかった深みと輝きを出すために金箔と真珠の粉、さらに香りのために麝香粉、竜脳(香料)を擦って粉末にし、寝かせた煤と一緒に石臼で擦る。そこへ蒸して溶かした膠類を入れて練り、桐油を塗った台の上に取り出して叩いた後、棒状に伸ばして型に入れる。重しをして一晩おき、翌朝型から取り出して整形。磨き上げて刻印を入れ、そのまま半年以上乾燥させる。2019年の早春、墨の表面に蝋をかけ、刻印に金を埋めて墨の完成である。実に3年がかりの製造だが、中国では墨は年月をかけてゆっくり枯らしたものが良いとされるため、100年以上経ったものもざらにあり、高額で取引される。

続いて筆。2018年秋、紫竹を筆の長さに切って、曲がらないよう板にくくりつけて翌年春まで乾燥させる。江南地区の山羊毛(さんようもう)の、首のあたりの「細光鋒」「粗光鋒」と呼ばれる、先の透明に見える部分を選んで刈りとり、うさぎの毛と一緒に、脂抜きと癖直しのため石灰水に1日浸す。
櫛で梳いて綿毛を抜き、毛の根元を揃える。質の悪い毛を1本ずつとりのぞいたら広げた毛を丸めて穂にまとめ、根元を糸で結わえ、吊るして干す。乾燥させた竹を板から外して、節の部分を刳って穂を受ける部分を作り、接着剤でとめる。穂をふのりの水につけて、穂先を揃えて完成である。

紙は水墨画などに使う画仙紙。まず、カジノキの枝から皮をはいで硬い表皮を取り去り、1日日光で干した後、半月間池に沈める。草木灰と一緒に10時間以上煮る。汚れや硬い部分を取り除いた後、叩いてから切り刻み、石臼で搗いてほぐし、水槽で網を貼った木枠の中でほぐして、引き上げて乾燥させれば画仙紙の完成である。

最後は硯。1919年春 広東省名産の硯で名高い端渓石に下絵を描いて鏨でひたすら削っていく。陸の部分は石粉で削って、墨を擦りやすいようやや荒目に仕上げ、周囲の模様の部分は蝋で磨いて光沢を出す。

3年をかけてようやく完成した文房四宝を使って描くのは、水墨画の竹。これを携えてマレーシアへ行く。シンガポールについで中国人が多く、華僑圏に数えられることもあるマレーシアの、ロイヤルファミリーに会ったとのことだが、誰かはわからなかった。マレーシア国王といえば、今年1月、ムハマド5世国王がロシア美女と結婚するため退位し、話題になったが、もちろんこの動画に登場した人物ではない。


李子柒/養蚕と真綿の布団

絹の発祥地は中国で、その歴史は木綿より古い。産業革命でイギリスにトップの座を譲るまで、中国は世界の工業生産高ランキングのトップでありつづけた。中でも大きなウェイトを占めたのが絹と絹織物で、そのための交易路が「シルクロード」の名で現代まで残っているほどである。その中国でも、動画の舞台と言われる四川省は、繭の生産が全国第3位である。
今回の 李子柒 は、昔ながらの養蚕と真綿づくりがテーマである。絹というのはカイコからとった真綿を撚って糸にした状態を言う。春、生まれたばかりのカイコに刻んだ桑の葉を与える。最初は一握りほどでよかった桑の葉も、カイコの成長にしたがって、かごで何杯もの量が必要になる。カイコは、床に撒かれた桑の葉の上で、日がな一日葉を食べて暮らす。

昔、子供が小学生の頃、教室学校で飼っているカイコを夏休みの間預かってきたことがある。私は、がんばってお世話しようね、と口では言ったものの、ケージから逃げ出してそこらへんにころがってたらどうしようと、戦々恐々だったが、連中は桑の葉のある場所から一歩も外へ出なかった。カイコというのは完全に家畜化され、人間が手を貸さないと生きていけない生物になってしまったのかもしれない。

繭をつくりはじめたカイコは、豆の枯れ枝に移し替える。カイコは生糸を吐き出して繭をつくり、中で蛹になる。繭ごと湯で煮て、蛹を殺す。ゆでた繭を洗う。まゆを手で開いて袋状にし、死んだ蛹を取り出す。繭を広げて竹でできた枠にかぶせる。強い一本の糸だから、膜状に広がって数枚重ねたものを水中で伸ばして、さらに大きく広げて重ね、干す。450gの生糸をつくるのに2500匹のカイコが必要だそうだ。

干した真綿の束を何層か重ねて、一箇所切り開く。この状態のものを4人で4隅を持って伸ばす。糸が絡まってごく薄い膜になっても破れず広がる。まるで霞のような薄膜を無数に重ねていって、いわゆる真綿の布団のできあがりである。