社会信用制度とクレジットスコア

あまり政治・経済のネタは取り上げないようにしているのだが.

中国は,2020年までに「社会信用制度」に着手すると発表した.国民一人一に,良い国民かどうかの点数をつけるということらしい.だが,だからといって,今でも国民は十分監視下にあるので、これ以上悪くなるわけではないような気もする.むしろ地方の顔役の気分一つで就職が決まったり,牢屋に入れられたりするより,よほど公正かも知れない.

自分たちも同じように「クレジットスコア」で管理されているのだ,というアメリカ人もいる.クレジットスコアは,個人の信用度の数値化である.収入やクレジットの利用状況などで,個人を300から850の点数をつける,750点以上が「プライム層」,660点以下が,リーマン・ショックで有名な「サブプライム層」だ.

クレジットスコアが低い人は就職などで不利になるほか,預金金利は低く,ローン金利は高くなるなど,さまざまなハンデを負う.そこでアメリカでは,クレジットスコアを高めるためのノウハウ本まででている.ちなみに,そのコツは
・期日までにきちんと支払う。延滞しない。
・クレジットの利用額を減らす。限度額の20%~50%に抑えるが、毎月必ず使い続ける。複数クレジット口座がある場合は、まんべんなく分散させて利用する。
・クレジットカードを持ちすぎない。二枚か三枚で十分である
・6カ月間は新しいクレジットカードを作らない
・ローンを組む前に自分の信用格付が正しいかどうかを確認しておく
・住宅ローンを組む気があるなら消費者金融は利用しない
というようなことらしい.

日本ではどうかというと,アメリカは2008年の米国政府要望書で,同様の仕組みを整備するよう提言してきた.個人情報保護法のせいで,アメリカほど徹底されてはいないが,マイナンバーで個人特定がしやすくなると,今後はアメリカのようなことになるかもしれない.

と言ってる矢先に,保険会社からマイナンバーの確認書類が郵送されてきた.お上がやれというから問い合わせるということらしく,提出しなくても支払いその他に影響はないという.なんだか理由不明な相手に,個人情報を差し出すような気分だ.自分は歳だからどうでもいいが,若い人はどうなるんだろう.中国のような状況が待ち受けているのだとしたら,我々がこういうものを出し渋っておいたほうがいいかなあ,とも思う.

次回「江戸町方十手術」(12/10公開予定)
乞うご期待!

 

 

美食倶楽部(広告)

数年前から,bishoku.clubというドメインを持っている。言うまでもなく,日本が誇る芸術家にして美食家,北大路魯山人が主催した「美食倶楽部」にちなむドメインである.独自ドメインという性質上,ネット上でこのドメインを使えるのは私しかいない.試しに検索したら取れてしまったので,これはラッキーとばかりにネットで公開し,買い手を募集してきた.だが,打診どころかアクセス数もなかなか伸びない.本当はドメイン市場に出したり,ブログを書いてアクセス数を獲得しておくべきなのかもしれないが,できれば縁のある人に譲りたいし,手垢のついたものはいやだろうと,トップページだけで放置してきた.待つだけだから手間もかからないし,サーバーも自前のものだから経費も知れているのだが,最近は,そのうち放棄するんだろうなと考えていた.

が,ここに来てアクセスが増えてきた.残念なことに海外からがほとんどであるが,ロボットなどではない.せっかく和食が世界遺産になったのだから,私としては日本人に買ってほしかった.が,どこぞの景気の良い国からとんでもないオファーが来れば,私とてホイホイ売ってしまうだろう.ネットビジネスでの日本の立ち遅れというのは,こういうところにも表れている.

まだはっきり値段を決めてはいないので,早いうちに申し出てくれた人には,おそらく後から後悔するような安値で売ってしまうだろう.そして,二度と手にはいらないような価格で取引されるに違いない.

その名を許されるただ一店のために BISHOKU.CLUB

野心的な味覚のプロフェッショナルのお申し出をお待ちしております.

<閏年SP>インターネットとオリンピック

すっかり忘れていたが,今年は閏年.オリンピック・イヤーだった.そこで,記念すべき2/29に,何かしら書き込んでおこうと思う.

オリンピックの公式サイトが初めてできたのは.’96年のアトランタ大会の時である.その前の’94リレハンメル冬季大会の時は,サン・マイクロシステムズ社が独自にサイト構築した.IOCに許可を求めたが,なんのことかわからずに,スポンサー費用もとらずにOKを出したらしい.当然ながら世界中からすさまじいアクセスがあり,世界はインターネットの力を初めて知った.TVよりも新聞よりも早く,すべての競技情報が網羅されている情報源などどこにも無いのだから,当然のことだった.

オリンピックの公式スポンサーは,実はサン・マイクロシステムズではなくIBMだった.次のアトランタ大会では,名誉挽回とあってそれまでにない野心的なテクノロジーが採用された.一度訪れたユーザーを識別して,リピーター向けの情報に誘導する,Cookieである.今では当たり前になってしまって,ことさら使っていることがわかるサイトはなくなったが,アトランタの後は,「またいらいっしゃいましたね」とか「XX回目のご来場ありがとう」などと表示されるサイトだらけになってちょっとウザかった。が,ともあれ本格的なWEBマーケティングも,このときに始まったわけである.
また,atlanta.olympic.orgという1つのURLへのアクセス集中を緩和するため,米コーネル大学,米IBM社,慶応大学,独カールスルーエ大学,英IBM社の5箇所のサーバーで分散処理する仕組みも初めて導入された.世界中からの膨大なアクセスを世界全体で受け止める,地球規模のしくみができあがった.

さらに’98年の長野オリンピックでは,ウェブアクセシビリティのための国際規格が定められ,公式サイトに採用された.画像の説明コメントなどを統一することで,目の不自由な人も,読みあげソフトや自動点字装置を使って,インターネットからオリンピックの最新情報を知ることができるようになったのである.
人間とインターネットの関わりは,オリンピックのたびに発展してきた.日本から最も遠いブラジル・リオデジャネイロ大会では,距離と時間を超えた新しいインターネット体験が待っているかも知れない.