AI担当者と親切なジョーンズ氏

今、ある高齢者世帯に役所などの介護関係者から、あなたの担当ですと挨拶の連絡があったとする。若いが落ち着いた声で、365日24時間、いつでもどんな質問にも答えてくれるだけでなく、長時間の雑談にも快く応じてくれる。なぜか高齢者が勤めてきた業種の情報にも詳しいので、いやが上にも話がはずみ、ちょっとした生きがいにもなる。これからもしそういう担当がいたら、それは間違いなくAIだろう。

実はこれに似た仕組みはAIができる前から存在した。インターネットが普及し始めたころ、ある企業のメール窓口はジョーンズという名前だったが、彼にメールで問い合わせれば、どんな部門に関する質問でも、正確に親切に答えてくれるので、顧客の間では「親切なジョーンズ氏」としてちょっとした有名人だった。これはもちろん担当部署にメールを転送して、ジョーンズの名前で返信させたからで、ジョーンズ氏が実在したかどうかは怪しい。

だが、この話を聞いた時、私もなんとか応用できないかと考え、顧客からの連絡はできるだけメールを使ってくれるように誘導し、そのかわり問題箇所に関する図やマニュアルまで作成して返信するようにした。これは一見対応が遅いように思えるが、外出中などに連絡されても、後刻調べて連絡すると言うくらいしかできない。賢明な顧客は、すぐメールのほうが結局早く正確に対応してもらえることに気がついてくれる。中には不満を述べる相手もいたが、そういう「感謝の足りないタイプ」は結局持て余すので、縁が切れれば負担が減った。

現代の組織にも、顧客からのメールを担当部門に転送する仕組みはあるが、経費や時間の削減を目的にするだけでは、単なるたらい回しシステムである。介護に限らず、これからさまざまな分野でAI応対窓口が置かれるだろうが、架空の人物を作ってでも顧客の満足度を高め、競争優位を実現するというようなしっかりした戦略がなければ両刃の刃になる。直接人間の心にタッチするものだけに、「親切なジョーンズ氏」と「手抜き」くらい違う印象を与えてしまうだろう。

親切なジョーンズ氏はAIだった、という画像を作ろうとしたが、顔をメカっぽくすると暗いSF近未来映画のようになってしまう。

最近知った意外な事実

インターネットのおかげで、昔からの常識がひっくりかえることがある。歳をとっていると多くの「常識」が頭に詰まってるが、その分ひっくり返されることも多い。いわば日々新しい驚きに満ちている。これも歳を取ることの醍醐味だと思う。

本の腰巻きで見かける「重版出来!」は、「じゅうはんしゅったい」と読む
てっきり「デキ」だと思っていた。なんとなく幼稚な言い回しだとは思っていたが、コミックなどで使われることが多かったせいで、辞書まではひかなかった。一体何十年知らないままでいたことか。

鳥類はいわゆる”鳥目”ではない。
人間の近くで暮らす鶏が、視力が弱くて夜に活動できなくなるので、すべての鳥が夜に目が見えなくなると思われていただけ。ふくろうだけ例外というわけではないらしい。

日本で最初に拳銃所持を認められたのは郵便配達員。
1871年(明治4年)のことで、警察官より50年も早いという。その昔は現金封筒が多かったから、妥当だったのかもしれない。が、警官の携帯が50年後というのは意外だ。明治がそれだけ平和だったのか、それとも警官を襲っても一文にもならなかったからなのか。ちなみに現在は郵便配達に拳銃は許可されてない。

ネットのコメントでの「買い言葉」を、『コメント応手(おうしゅ)』という。
応手は囲碁将棋の言葉で、相手の手に合わせて打つ手のこと。ネット上でのコメントというと聞き苦しい罵り合いばかりのように思われがちだが、案外通なことを言ってたりする。

捗る
これを「はかどる」と読むことは最近知った。ネット上での使い回しがスラングっぽいので、読みにくい字をわざと使ってるのかもしれないが、少なくとも自分は読めなかった。漢字を知らないのは恥だが、難読漢字ばかり使うのも印象が悪い。文は人なりで教養や気配り具合まで伝わってしまうものだが、最近は変に難しい漢字を見かけることも多い。漢字変換の候補をそのまま使ってしまうからだと思うが。

ガラケー最後の日

携帯で通話すると、来年の3月で今の通信が使えなくなる旨のアナウンスが入るようになった。厳密に言うとFOMA通信のサービスが終了するということで、スマホに変えなくてはならないわけではないらしいから、ガラケー最後の日ではないかもしれないが。

私はスマホ、ガラケーを問わず、携帯通信が嫌いである。固定電話でさえ相手もわからずに呼び出されるのは愉快ではなかったが、トイレ中に携帯にかかってきたときは、どうしろと言うのだと思った。なのでPCのメールが普及し始めた頃は大喜びだった。好きな時間に送信しておき、都合の良い時間にまとめて確認して、しっかり調べたうえで返信する。双方に証拠が残って、言った言わないがなくなる。送信側も文字にするひと手間があるせいで、内容が吟味される。これぞ連絡業務の効率化、生産性の向上そのものである。日本のビジネスも進化する...。

そう思っていたら携帯メールの時代になり、メールにすぐ返信しないと怒る人があらわれ、なんだかそれがマナーのようになってきた。なんじゃそりゃ?怒るのは上司だったり顧客だったりするので、すぐ連絡が取れるアピールは営業戦略上こちらに損はないものの、ビジネス全体の生産性という点では後退だ。つまり、損をするのは上司だったり、顧客である。
まして当時、大手通信会社からインターネット前夜のVANやらISDNやらによる企業通信の取材と記事を請けていて、通信システムによる合理化と生産性向上をPRしていたのだが、他ならぬ取材チームのなかに、思いつきメールを放り込んできてすぐ返信を求める連中がいたのである。取材で何を聞いたのかと言いたかったが、これは技術や知識ではなく、世代の問題なのだと思った。

我々より先輩世代は携帯電話が大好きだった。さらにその上の世代のときに自動車電話が誕生し、一部の選ばれた人が使っているのに憧れたのだと思う。何か思いついたらその場から連絡。
「例の件は進んでいるかね。うむ結構。その調子で頼む」
かっこいい!!!という感じかな。

ちなみに私は携帯メールを一切使わないでいたら、親切なdocomoのサポートさんから、使わないならデータ通信サービスは解約してはどうかと提案され、そのとおりにした。その後世の中にはさらに通信手段が増えた。ブログ、FACEBOOK、TWITTER、LINE、あとなんだっけ?コミュニケーションツールの多様化で、武器が増えたと思う人もいるのだろうが、「火力分散愚将の常」ともいう。
で、どうしよう。新しい通信で使える最新のガラケーもあるそうだから、それにするかもしれないが、いまどきスマホにしない非常識な人間は、自分とビル・ゲイツくらいかもしれない。