福井県の永平寺で、修行僧が体験修行中の女子高生のおしりを触る事件があった。メディアは神聖な場所で何事だ、寺は責任を取り、犯人は追い出してしまえと言わんばかりだ。さて、面白いことになったと思う。
永平寺の山門(正面入口)には、「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず<生臭物や酒を持ち込んではいけない>」という掲示がある。では、こっそり酒を飲んだ修行僧はどうなるか、追い出されるか、程度に応じて罰を受けるのか。実はこの問いに考え込んでしまうのは現代人だけで、江戸時代の人間なら、だれでもすぐ答えられた。
「そういう輩のための修行の場だろう」と。
仏教の修行場は、品行方正な人間を集めて何かをするところではなく、煩悩にまみれた者を真の仏教徒である僧侶に育てる場だ。なので江戸時代なら、女性が参拝以外で入ることはできないから、まず同じような問題は起きない。修行途中で煩悩まみれの若い男たちのなかに女子高生を放てばどうなるかわかりきってるからで、そういうのを「知恵」と言った。しかも初歩的な知恵で、仏教の知恵はもうちょっとハイレベルだ。でも現代なら男女同権がどうとかで、女人禁制にはできないだろう。そこで公式謝罪がどうの、刑法がどうのという話になりかねない。そういう状態を「知恵が回らない」と言う。
さらに江戸時代なら、起きたとしても、寺がより一層修行に専念させるといえば、相手も納得する。僧侶に対するリスペクトがあるからだが、伝統的な仏教文化なんぞクソ喰らえの時代に、果たして永平寺はどう答えるか。さらに言えば、煩悩まみれの現代人はどこで修行すればいいのか。現代版禅問答は、なかなか難しい。
