平成国盗り物語

総理府統計局の発表する「統計ヘッドライン」9月号に、我が国の「人口重心」が発表された。日本の人口を重さで測ったらどのへんで釣り合うかを示すもので、岐阜県関市だという。大体日本地図の真ん中あたりになるだろうと予測してたが、東に東京があるにもかかわらず、重心は随分西だ。興味が湧いたので関市を調べてみた。人口の話はここまで。

関市は関の孫六の伝統を受け継ぐ刃物の町というのは有名だが、地図で形をみて驚いた。なんとも不自然なV字型である。平成の大合併の際に、隣の美濃市との調整がつかなかったか、合併合戦で美濃市に勝ったか、そのへんのゴタゴタが容易に想像がつく。戦国時代、いやもっと古くから続く地方豪族同士の確執、プライドと思惑が交錯し、金と罵声が飛び交う醜い闘いがあったに違いない。

一方関、美濃両市の北にある広大な緑の自治体は高山市だ。若い頃に訪れた飛騨の高山は、合掌造りの民家や宿場町の風情を残す小さな町だったが、順調に合併を繰り返し、なんと日本一の面積を誇る市になってしまったのだそうだ。旧勢力同士が争うすきを突いて、小国からのし上がり、いつしか強大になって背後に忍び寄る新興勢力。岐阜県の方には恐縮だが、実に面白い。岐阜といえば昔の美濃の国、そして美濃といえば、司馬遼太郎の「国盗り物語」の舞台だ。

7 thoughts on “平成国盗り物語

  • 11月 28, 2017 at 07:09
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    知り合いの居合いの先生に「居合やらないか?」と持ち掛けられましたが、刀が高価でやめました。骨董屋で日本刀が100万もするのも頷けます。あれだけ丹精込めて鍛えて仕上げるまでには相当の労力と匠の感や技が注ぎ込まれていますからね。剣道の試合の初めに「試し切り」をしますが、僕たちが作った、真竹を芯にコモを巻いて荒縄で縛り上げたうえに一昼夜、谷川の水に浸けて持ち込んだ人に見立てたものを、分厚いまな板のようなところに太い釘を打ち込んでそれに刺して立て、指南の先生が一刀両断の袈裟懸けで薄皮一枚分の藁を残して見事に切り倒します。切り込む角度と力の入れ方にもよるでしょうが、刃こぼれも起こさずに骨(真竹)まで切るほどですからね。

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  • 11月 27, 2017 at 07:39
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    飛騨高山など近くに居たはずなのに、行ったことはありません。つまり、あれほどの高層合掌造りではありませんが、身近に、かやぶき屋根の家がいくらでもあったから、さほど興味を持たなかったのかも知れません。二つ奥の板取村と言うところなどは、小学校時代の友達の家も、JR沿線に家を与えられて、引っ越して今は無人の村落ですが、重要文化財ですからね。子供の頃は徒歩で遠足や写生に行ったものです。我が家も、吹き抜けの元はかやぶき屋根が、木場ぶきになり、瓦に変わっていました。豪雪地帯ですから丈夫な躯体だけは昔のままでしたね。

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    • 11月 27, 2017 at 08:33
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      それでは、道産子の私のほうが行ったことがあることになりますね。当時の高山は岐阜からも富山からも随分と遠い、行きにくい場所だったような気がします。北海道の原生林とはちょっと違う「いかにも山奥」な感じがして、大変なところへ来てしまったなあと思ったものです。ただ、良い場所でした。合掌造りだけでなく、古い建築がそのまま残っていて、今のような「演出」が施されていませんでした。文化財だったと思いますが、古くて大きな商家の裏庭に面した部屋に、縁側からのどかな日差しが差し込んでいました。ああいう空間は北海道の家にはないので、他に人がいないのをいいことに、失礼してしばらく横になってました。

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  • 11月 27, 2017 at 07:30
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    福井県の武生界隈にも元刀鍛冶がおおいですね。今では、刀は大量に売れませんから、包丁に変わっていますけどね。子供の頃には近所に一軒の鍛冶屋がありました。フイゴウで真っ赤になった鉄をオヤジさんが叩いていました。そこの屋号は「鍛冶屋=かんじゃ」と言っていましたね。

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    • 11月 27, 2017 at 08:17
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      私の子供時代にも、近くに鍛冶屋がありました。そこでは馬の蹄鉄を作っていて、機械がドンドンと叩いているところに赤い鉄材を差し込んで形にしてました。危ないから近くに寄せてもらえませんでしたが、扉を開けっ放しで作業してました。いつまでも見てられましたね。

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  • 11月 27, 2017 at 07:26
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    我が家の山が岐阜県と滋賀県と福井県の三県の境目にありました。険しい場所で熊や獣くらいしか住めません。その尾根で松茸が獲れるので中学の時に父に連れられて行きました。案の定熊に遭遇しました。沢山の松茸を収穫したのを思い出しましたが、二度とは行けそうにありません。美濃と言えばマムシの斎藤道山ですね。あの辺りは関ケ原など古戦場で刀鍛冶も栄えたのでしょうね。僕は関の孫六を持っています。とは言ってもニッパ式の爪切りですが。

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    • 11月 27, 2017 at 08:41
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      刀工の流れを汲んだメーカーの爪切りは、随分いいそうですね。さすが包丁鍛冶と違って、人(の一部だけど)を斬るための道具づくりということかも。

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