日本文とスペース

最近、日本語の文章でも、単語の間にスペースを入れたものを見かけるようになってきた。これには論議があるようだが、私は大賛成だ。最初に見たのは英会話教室を経営してる知人のブログで、英語を書く要領で、自然にスペースを入れたのだろう。スペースは日本語の文法としては間違いらしいが、一方、言語学者のなかでも、スペースのないことが日本語最大の欠陥と言う人もいる。

ネット上で日本語スペース反対派の主な意見は、見苦しい、漢字が混ざるので意味がわかるはずだというもの。「てにをは」の助詞が豊富にあるからスペースは不要なはずというのもあったが、これは意味不明で、むしろひらがなが増えて読みにくくなるからスペースを入れたくなるというべきだろう。

ルールだからだめなものはだめ、ビジネス文章では禁止という意見も多いが、これもどうだろう。ビジネス文章は正しい文法のほうが無難ではあるが、そうでなければならないというルールもない。だから私はわざと文法違反をすることもある。例えば「おこなった」という場合、「行」に活用語尾の「った」だけつける「行った」が正しいのだが、「おこなった」なのか「いった」なのかわからない。この文部省(当時)のお達しが出た際に 非常に疑問に感じ、それ以降も努めて「行なった」と書いてきたが、特に問題はなかった。

グラフィックデザインの場合は、見た目優先でスペースを入れることもあるという意見もあったが、これも「?」である。コンマ何ミリの単位で全ての文字の間隔を調整することすらあるくらいだから、スペースどころの話ではない。
もともと日本文は白紙に筆で書くものだったので、文字の縦横全てのスペースを自由に使った。同じ文字が別の場所で倍ほどの大きさになってても許された。そもそも和歌や俳句などの美しい日本文は、句読点ではなくスペースで意味をはっきりさせてきた。落語ではないが、

今日ここのへ に にほひぬるかな

今日 ここの へに にほひぬるかな

この2つは、スペースで分けなければ意味がおかしくなってしまう。

日本語にスペースの概念が出てきたのは、活字が登場してから。それもワープロが普及してからのことだと思う。文字のサイズも複雑さもおかまいなしに 同じサイズの枠の中に詰め込んで、漫然と並べざるを得なくなったのだから、見やすさのためにスパースくらい許されてもかまわないだろうと思う。そもそもワープロフォントでは、私の本名の漢字は画数が多くて全ての線を描ききれずに、なんちゃって漢字になっている。文法以前の大間違いだが、生きた言語というのはそういうものだろうと、あきらめている。
長年の習慣なので自分ではスペースは使わないが、これは誰かスペース使いの名文筆家が登場が登場して、お手本を見せてほしいと思う。

2 thoughts on “日本文とスペース

  • 12月 13, 2019 at 12:34
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    家内が邦文タイピストだった関係で、公文書を扱う事が多かったのです。丘珠空港でヘリが破損したので運輸省に書類提出とか、契約書とかをカーボンで5枚くらい透して打ち込みます。そんなお手本になっていたのが京都市役所の公文書のテキストでした。例えば「申し上げます」や「〇〇下さい」などはご法度でした。正しくは「申しあげます」「〇〇ください」と。これは一例ですが、書式も含めて、そんな公文書の決まりがありましたね。

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    • 12月 13, 2019 at 13:30
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      市民に対しても出入り業者に対しても、役所の対応は随分親切になりましたが、書類の書き方などはまだまだ融通がききませんね。例えば役人も「下さい」が「ください」と分からないわけじゃない。わかってるから文句を言うんだから、そのまま受け取ってもいいじゃないかとは思います。海外の役所には、細かい書式がおかしくても、意味を判断して処理できるように人間が窓口をやってるんだというところもあるそうです。

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