江戸町方十手術

若い頃,古武道の一種の「江戸町方十手術」を,ほんのちょっとだけ習ったことがある.享保の改革の際,大岡越前守の町奉行所改革に始まる,伝統ある武道だ.

十手(「じゅって」ではなく「じって」と発音)を持つのは,同心や与力と呼ばれる幕府に帰属する役人で,銭形平次のような目明かしは所持してはいけない.ただし,役人以外でも,武具の一種と使う武士もいて,流派もいくつかあった.大きさも平次親分が持ってるような小さなものではなく,ものによっては1M近くもある鉄の棒だ.

江戸の町で刀を持っていたのは侍だけではない.武士のように自分のために作らせたり,家伝の刀があるわけではないものの,古道具屋に行けばいくらでも売っていたので,町人や農民でも買うことができた.剣術の町道場というのも町人のためのもので,武家では専任の指南役を召し抱えていた.そのため犯罪者は身分に関係なく大抵刀を持っていて,捕まりそうになると,獄門さらし首が待ってるだけに,死にもの狂いで刀を振り回して暴れた.

それを捕まえる町方といえば,侍であっても犯罪者を勝手に斬り殺すことはできない.十手という鉄の棒だけを頼りに,半狂乱で刀を振り回す相手を制圧しなければならないのだ.もし戦場であれば,命をかけて戦って手柄を立て,首尾よく褒賞にありつくか,領地をもらって子々孫々まで安楽な生活が出来るかもしれない.ところが町方役人は,十分な武装もなく,出世や褒賞もなく,命をかけなければならなかった.だから江戸時代の彼らは武士の中でも実践で鍛えられた武芸の達人が多かったとはいうが,やはり怖かったのである.中村主水が裏稼業に手をだしたのも分かるような気がする.

いざ捕物となったときは,突っかかってくる犯罪者の前に立ちはだかり,一定の所作をしながら「破邪顕正」(邪なるを破り,正しきを顕す)と唱え,自分は正しいことをするのだと自分に言い聞かせる.さらに口に出さずに「アビラウンケン」と念じ,神仏の加護を願う.現代人からすると迷信やまじないにすぎない様に思えるが,本当の命のやり取りの場では,人間は取り乱すということがよくわかった上で,少しでも冷静さが取り戻せるなら何でもするという,合理的な行動だ.

十手の使い方は,犯人の斬撃を受け流すのが基本である.カギ部分の使い方は習っていないでのわからない.そして相手が姿勢をくずしたところを,鉄の棒でひっぱたき,ひるんだ相手の手と体の間に十手を差し込んで背中でねじり上げ,テコの原理で片手だけで相手を押さえつける.ここから先は動画でも「公開できない」と言っているが,空いてる片手で懐から「早縄」という細くて丈夫な縄を取り出す.早縄の先端についたカギを相手の襟首にひっかけ,口と片手を使って相手の体と足を巻いてしまう.ちょうどうさぎ跳びのような格好に縛り上げ,残った縄を伸ばして端を持つ.こういう窮屈な格好にしてしまうと,縄をかるく引っ張っただけでバランスを崩し,犯人はつんのめりながら,自然に前に進んでしまう.役人一人だけでも,捕まえた犯人に暴れられたり,その場にしがみついたりされずに,連行することができるのである.

マンガの知識だと思うが,同心の雇用は1年契約で,毎年大晦日に奉行の役宅を訪ね,寒空の中順番に並んで,ひとりずつ「永年申し付ける」という約束をもらわないと,翌年から仕事がなくなったという.単なる年末のご挨拶を,誇張して哀れっぽく描いただけかもしれないが.

次回「吉良上野介」(12月14日公開予定)
乞うご期待!

5 thoughts on “江戸町方十手術

  • 12月 12, 2016 at 15:10
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    でも、ひとつ判ったことは、叩かれたら痛いと言うことですか。つまり叩いたら、打ちどころによっては相手も痛いと言うことですね。「身をもって知る」立派な教育ですよ。

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  • 12月 12, 2016 at 13:19
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    私も中学時代は市立体育館で、大人に混じって剣道の朝稽古に出てました。早起きして寺の本堂の雑巾がけをし、お経の稽古を済ませた後、登校するまでの時間。そこまでやってて、しかも今ではこんな歳になりましたが、その程度のことでは人格者になったり、悟りを開いたりしないものだということが分かりました。

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  • 12月 12, 2016 at 12:15
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    中学のときは、始業前の小学校の体育館で、剣道の朝稽古をしてから中学校に行っていました。校長がかなりの有段者で、つばぜり合いで吹っ飛ばされて腰板にたたきつけられ、「ツキ~!」で面が吹っ飛び、こっぴどくやられました。背の高い高校生の「め~ん!」は防具の後ろにまで竹刀がしのって脳天をやられます。不良の部員には小手の防具や胴の防具を外してシバかれて紫色に腫れあがりました。素足で冷たいフローリングに正座しているとシビれて、「次っ!」と指名されて立ち上がると戦わずしてふらついていたものです。竹刀ですら、あちこち痛いのに、刀は肉が切れて血がでますからね。十手は、警棒と違って鉄棒ですから結構重そうですね。振り回せば疲れますね。

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  • 12月 12, 2016 at 09:28
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    江戸時代の役人というと残酷だったように思われますが、殺傷力のある武器を使わないなど、案外人道的でした。今の警察は、厳しく制約されてはいるでしょうが、銃を使いますね。多分相手が日本刀を振り回してきたら撃つのではないでしょうか。そこを十手だけで相手してたのですから、大変なことです。また十両盗むと獄門さらし首でしたが、実際には奉行所で九両三朱二分の盗みということにして、島流しに変えることもあったようです。これについて「どうして九両(くりょう)三朱二分」という言葉が残っています。

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  • 12月 12, 2016 at 01:30
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    PKOどころか、命がけの仕事ですね。まんまと召し取っても、きっと彼らも切り傷だらけで大変だったのでしょうね。十手ひとつで二本刺しには無理な気もしますね。

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