訳アリ商品というのがある。割れたせんべいやチョコレートなど食品に多いが、若い人に人気の古着などもその一種かもしれない。これの良いところは安いからだけではない。特に食品の場合、訳アリではない大手ブランドの商品は非常に厳しい品質基準が課せられている。そのせいで、例えばポテトチップの塩の量がほんの少し基準より多かっただけで、同ロットすべて廃棄することもあるそうだ。こういうムダは誰よりも企業が嫌うはずなのだが、炎上がどうの、株価がどうのということになれば一大事、ということかもしれない。
その点訳アリ商品なら多少せんべいの醤油が多かろうが少なかろうが、企業も消費者も「しょせん訳アリだから」というゆるい信頼関係が成り立ってしまう。割れたせんべいとは言っても、大量に規格外を出してるようでは採算が怪しいので、完品をわざと割って売るのだろう。単なる価格訴求のためだけの低品質品とは違う。お役所の指標を間に挟んで消費者と対立するのではなく、いわば消費者となあなあのグルになることをめざしたわけである。
最近よく見る、若い人向けの古着屋も似ているかもしれない。おしゃれな人は必ずしも金持ちではなく、むしろ少ないお金を上手に使おうとする人たちから新しい流行が生まれる。その点現代は、安くあげようと思ったら某クロしかなさそうで、おしゃれな人は不満があるのではと思っていた。自分は某クロで十分だが。
ここでいう古着とは、景気が良かった時代に販売されていた、個性的で素材や縫製、デザインのしっかりしたファッションという意味らしい。衛生的で汚れや痛みが少ないのは当然として、今では新品でも手にはいらないものを着ておしゃれを楽しもうということだ。もしかしたら当時は量産品だったかもしれないが、今まで大切に着られてきて一点ものと同様の価値になった服、とも言える。
話は変わって、自分もバイオリンを始めて8年ほどになる。年も年なので最初からだいそれた目標もなく、永遠に初心者レベルでも楽しければ良いということで、「ビギナーでいこう」などと言ってたのだが、さすがにそれでは志が低いかなと思うようになってきた。そこで、決してパーフェクトではないが味わいがある、というあたりのレベル、いわば「訳アリ音楽」をめざそうというふうに言い換えて、ほんのちょっとだけ自分の努力を評価してやることにした。歳を取ればいろいろ完璧からは程遠くなり、人間そのものが訳アリのお古なのだし。
訳アリと言えば、セカンドストリートなどのリサイクルショップでビンテージもののデニムを探すとかが若者の間で流行って居ますね。彼らの目利きは大したもので、5万円はくだらないだろうジージャンが1200円とかビンテージの帽子が300円とか、商品そのものに拘って真剣に探して求めているようです。私は通りがかりに見つけたリサイクル店に数回使った中国製の安価なトランペットと数回試し打ちしただけのゴルフのユーテリティアイアンと業務用掃除機などを持ち込みましたが「2千円です」と言われました。その後見には行っていませんが店頭では5000円程度になるんでしょうか?。
リサイクルショップ、面白そうですね。ネットでチェックしたらなかなかしっかりした商品管理のようですね。セルマーが30万円台とそれなりの値段でしたが、オークションなどより安心な感じがします。セルマーが数万円とかだと、かえって怪しいですからね。