ガラケー最後の日

今年3月31日にdocomoのfoma通信が終了した。「ガラパゴス諸島がすきだから」と言いながらスマホにしなかったが、ついに年貢の納め時である。思えば固定電話の時代から、集中している時にかかってくる電話が嫌いだった。「電話は免許制にしろ」と言いたかった。

さてインターネットが普及したとき、真の業務効率化時代が到来したと思った。連絡事項はあらかじめ文章にして送りやすい時間に送信し、自由なタイミングで受け取る。WINWINで互いの生産性が上がる。そう思っていたのだが、本格的な携帯時代になり、のべつまくなし連絡を垂れ流しあう時代になってしまった。そしてメールさえも、すぐ返信しないのはマナーがどうこう言うようになった。情報通信機器の導入で、情報の集約管理というシステム化とは真逆の現象が起こったのだ。

自分だけはそうなりたくないと、携帯は持たないでいたのだが、某巨大電気通信事業者企業と取引があったので逃げ切れなかった。ある日、はいコレと携帯を手渡された。ちなみにこの時受け取った機械は、さすが本職が選んだだけあって、軽量で音声も明瞭、何度か落としたが壊れることもなかった。その後何代か買い替えた中でも、最高品質だった。
逆に言うと、モバイルは買い替えるたびに重く使いにくくなっていった。ボタン類の配置も操作のこと考えてるとは思えず、音質も悪くなった。特に「着信あり」ランプが無くなったのは閉口した。置いたまま席を立っても、以前はランプの有無はすぐ目についたが、液晶に表示されているだけだと見落としが増えた。ランプ1個のコスト削減というマーケ判断の前には、ユーザーフレンドリーとかは全く意味がないらしい。

そしていま、スマホが目の前にある。まず、ガラケーに比べサイズが大きくてつかみにくく、滑り落としそうになる。石器時代の磨製石器のほうが手に馴染む感じだ。以前、某社スマホがモデルチェンジで解像度が上がったと言った際、単純に機械のサイズが大きくなっていて、頭が痛くなった。そのうち40インチになったら背負って歩くのかと。
また、よくわからんアイコンが多いので、片っ端から削除した。が、アイコンを隠すだけで、アンインストールできるものは少ない。この小さな機械の中で、使わないアプリが常駐されたり、サーバーとバックグラウンドで通信されてはかなわないのだが。それらにもまして驚くのは、落としただけでガラス面が割れるらしいということだ。人間工学?なにそれ、おいしいの?である。
数十年後、昔の珍発明として笑い話になることは分かってるのだが、今は諦めるしかない。要は使いようで、外出に持ち出さなければ良いのだ。

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