クラファンもありか?AIでモールス通信士ごっこ

電鍵というものがある。電信士がモールス信号で通信し合うための装置で、以前はアマチュア無線にも電信の免許があったらしい。今は変わったようだが、電波ではなく、インターネットを通じてあえて電鍵を使って信号だけを送り合うマニアはいるらしい。古い戦争映画などで、緊急事態を伝えるシーンによく出てくる。
なかなか格好いいが相手を探すのが大変なので、いっそAIが通信相手になってくれるサービスがないか、訊ねてみたところ、そういうものはないが、マニアックで話題になりそうだし、クラウドファンディングも期待できる。さらにアプリの開発やクラファンの説明文作成もサポートしてくれるという。そのセッションをまとめてみた。

ちなみに西部劇などで見る初期の鉄道は単線なので、途中駅で上り下りの車両をスイッチさせなければ正面衝突した。電信は、列車の出発や到着のタイミングを伝え合うものとして、欠かせない存在だった。非常事態でも相手の「呼び出し」ができないので、通信士は電信室に張り付き。プリンタもないので内容を聞き取って紙に書いて見せに行き、遠い駅宛に「伝言ゲーム」で送信し直すこともあった。
長い距離では信号が減衰してしまうので、途中駅には電池が置かれていたが、当時の電池はボルタ式など酸の中に電極を差し込むものだったので、溶液が薄まったり気温が下がったり、電極が溶けたりするたび、通信士が調整しなければならなかった。専用の電池室があったが、中は常に蒸し暑く酸の匂いが立ち込めていたらしい。

劣悪な環境、ハードなスケジュール、重大な責任など、通信士は実に大変な仕事だったらしい。今ではあって当たり前で簡単にできてしまうものが、存在してなかった時代にどんな工夫や努力をしていたかを知るのは面白い。人間の力を再確認させてくれる。そして死語かもしれないが、「根性」も大事だと思う。

4 thoughts on “クラファンもありか?AIでモールス通信士ごっこ

  • 10月 6, 2025 at 05:38
    Permalink

    モールス信号は現在でも船舶における非常時の通信手段として一部で使用されているようです。ただし、日常的な通信手段としてはほぼ使われなくなっているようですね。現代の主流はGMDSS(全球海上遭難安全システム)や国際VHF無線で、船舶間や陸上との通信は、衛星通信や自動化された無線システムが中心のようです。これにより、モールス信号のような手動通信の必要性は大幅に減少したようです。モールス信号は緊急時の“最後の手段”として残存はしているそうですね。例えば、無線機器が故障した場合や沈没寸前など、他の通信手段が使えない状況下では、光(信号灯・懐中電灯)や音(笛・サイレン)を使ったモールス信号が有効です。特に「SOS(・・・---・・・)」は世界的に認識される救難信号ですね。航海士や通信士の一部ではモールス信号の習得が基本技能とされていて、スマホアプリなどでの訓練も行われているそうです。しかし、無許可のモールス信号送信は電波法違反となる可能性があり、周波数の混雑や電波干渉の懸念から使用が制限されることもあるそうです。モールス信号は、現代の船舶通信においては補助的・非常用の手段として位置づけられているそうです。普段は使われませんが、「いざという時」に備えて知識や技術が維持されているのが現状のようですね。

    Reply
    • 10月 6, 2025 at 09:35
      Permalink

      鉄道の場合には電信以前の時代があって、駅ごとに塔を立て、下でロープを引くとGO/STOPのような信号板が立ち上がり、それを双眼鏡で確認するものだったようです。それに比べれば電信システムは、劇的に便利で仕事が楽になったと感じたのでしょう。ただ、すべて耳で聞き取らなければならなかったので、けっこう聞き間違いや聞き逃しもあったそうです。信号板はよる見えないし、駅ごとに通信士の交代要員を置けるとは限らないので、当初は夜行列車というのはなかったかもしれません。

      Reply
  • 10月 6, 2025 at 05:16
    Permalink

    四半世紀前あたりからインターネットが一般にも普及し始め、我が妻の仕事が無くなりました。邦文タイピストの1級の資格で社長秘書もしていたのですが、結婚を機に退職して自宅で仕事をしていました。お得意さんは街の印刷会社や丘珠の航空会社でした。当時は契約書や国に提出の申請書など全てがタイプ印字でした。自宅で子育てをしながらの作業は随分家計の助けになりました。ところがワープロの登場で資格の無い素人でも扱えるようになりました。大袈裟な機械と重い文字盤数枚を大型ゴミに出した時は複雑な思いでした。そうこうして居る内に今度はパソコンの出現です。当時アルビン・トフラー著『第三の波』を読んでいてコンピュータ時代を予想はしていたものの、あっという間にパソコン時代はやって来ました。これまで企画書を妻にタイプで打って貰って居ましたが、今度は自分でする事になりました。当時は時代が一変した事に驚き、これまでの手作業技術が全く無駄だった事に愕然としたものです。もしもあの時の様に今度はパソコンに代わる新しい時代の波が起こると仮定したら、新しい『第四の波』に乗り切れるか不安にさえ成りますね。それと同時に、アナログ時代の基本的技術も捨て去るよりも最新技術が全滅した時の事を想定して、残しておきたいとも思いますね。

    Reply
    • 10月 6, 2025 at 09:21
      Permalink

      その昔、日本で初めてPCが発売された頃に買って、ワープロを自作しました。当時日本語ワープロは東芝製が出たばかりで机くらいのサイズがあり、高価なだけでなく存在すら知りませんでした。和文タイプの盤面と同じ仕様の単一文字の入力装置だけあったのでこれを手に入れ、仲間と一緒にプログラムを自作しました。文字の「挿入」「削除」や「一時保存」など、タイプライターにない機能を考え出しました。当時も東芝製の机くらいのサイズで、日本初の日本語ワープロはあったはずですが、存在を知りませんでしたし知ってても高くて買えませんでした。「漢字変換」という発想は思いつきませんでしたが、東芝でもその部分が一番難しかったらしく、手はだせなかったでしょうね。

      Reply

アドマン。 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です