ゴジラ-1.0

コロナのほとぼりが冷めたら、真っ先にしようと思っていたのが、映画館での映画鑑賞。最初の作品を品定めしていたところにお誘いがかかった。

物語は太平洋戦争終盤の特攻隊基地、敵艦に突撃できずに戻ってきた主人公が、戦友に慰められるところから始まる。これは昭和時代なら絶対に描けなかったシーンだ。昔は、神風特攻隊と言えば戦争の弊害の象徴で、特攻しきれずに戻り、それを他の軍人が暖かく迎えるようなヒューマンな要素は多少なりとも描いてはならない雰囲気だった。が、現実には突撃をためらう飛行士もいただろうし、滑走路がなければ着陸できないのだから、戻るしか無い。軍も彼らがそのまま何処かへ行ってしまうより、飛行機と飛行機が戻ってきてくれるほうがいい。そうすれば別の者が飛べるし、飛行士も他の任務につける。そういう常識で考えればわかることが、そのまま描かれていたことに、良い意味の時代の流れを感じた。

それはともかく、主人公は戦争や怪獣と戦うにはあまりにナイーブである。戦後になっても特攻から逃げた負い目で引きこもりになりそうな様子だし、日本映画独特の、登場人物が感情的に喚きあうシーンも多く、見始めは先が思いやられた。が、実は混乱しながらも弱者をかばって生活基盤をきちんと整えていく強さを持っていることがわかってくる。そして選んだ職場が、ゴジラとの対決の場になる。

今回のゴジラは凶悪そのもので、歴代作同様、どう戦うのかが大きな見せ場だ。ここでハリウッドならマッチョなスーパーヒーローや軍が大胆な作戦で立ち向かうが、予期せぬアクシデントが発生。観客をハラハラさせながら、主人公のアイデアと運で辛勝するところかもしれない。ところが本作でゴジラに対するのは一般人の集まり。そして作戦通り全員がマニュアルに従って一歩一歩ゴジラを追い詰める。あまりスリリングでないように聞こえるが、「プロジェクトX」が徐々に成果を上げてゆくような、爽やかな達成感を感じさせてくれる。

物語が進むにつれ、主人公のナイーブさが、実は傷つくことを恐れず1ポイントでも目的に近づこうとする強かさだったことがわかる。そして、特攻をためらったのも、理不尽に対する抵抗だったのかもとさえ思えてくる。それは、次々と世界規模で起こる変化やブラックな職場など、鬱屈とした環境を生き抜く現代の若者の姿そのものかもしれない。
スムーズなストーリー運びの中で、そんなことを考えさせてくれる本作は、磨き上げた細部を組み上げて、巨大建築物を作り上げたような良作である。監督の綿密さや視野の広さがうかがわれ、次回作も安心して期待できる。

2 thoughts on “ゴジラ-1.0

  • 11月 14, 2023 at 10:08
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    ゴジラと特攻生き残りですか?。意外なシナリオに少し驚きました。何しろ、現に生き残り特攻の兄が居た(数年前に逝去)我が家ですから。そんな兄を見て来た訳ですが、初めは後ろめたい気持ちも有ったと思いますが、その後は県庁の水産課などに勤めたり、文化課に在籍中には全国の音楽ホールを視察し、音響効果抜群の新しい音楽ホール建設に生かしました。プライベートでは、若い時の夢だったのか?劇団を作って芝居を始めたり、人生をエンジョイしていましたし、全国の生き残りが札幌に集結して円山あたりの石焼ジンギスカン・パーティで盛り上がったそうです。私がジンギスカンを知ったのもその時でした。そして何故か、今では私も札幌に移住しています。特攻生き残り兄も、さすがにゴジラとは戦えなかったですが、最後は違う形でお国の為に、少しは働けたとも言えます。随分前に映画関係の仕事で、配給会社からの招待でゴジラの試写会に行きました。すっかり近代化されたメカゴジラでしたが。

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    • 11月 14, 2023 at 11:46
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      映画は終戦直後の東京が舞台でした。よく、政府や軍人が狂気にかられて日本を戦争に追いやったかのように言われることがありますが、周囲の軍隊経験者はむしろ立派な人が多かったように思えます。国民がその気になってしまったのが問題だったのでしょう。当時の膨大な戦費は、多額の政府債務の形で、現在の我々も支払い続けてるのですから、結局責任者は当時と現在の国民自身ということだと思いますね。

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