最近溜飲を下げたできごとの一つ、それがIWCからの脱退だ。日本は伝統ある捕鯨国であり、その自負と責任感から加盟していたが、人種的偏見も交えたはじめに規制ありきの姿勢で、日本いじめが続いていた。これには忸怩たる思いがあったが、このたびめでたく「国際便所協会」から脱退の運びとなった。その間31年。日本の長い捕鯨の歴史の中では、ちょっとした気の迷いのようなものだ。
子供のころ捕鯨基地を見学した。解体場に置かれたクジラの巨大さもさることながら、なぎなたのような包丁を持って駆け抜けただけで、クジラの腹が割れて大量の内臓が流れ出るのを見て、人間とは強いものだと感心したのを覚えている。
捕鯨船の船員の話も聞いた。クジラ漁では、小型のキャッチャー・ボートがクジラを見つけ、捕鯨砲から火薬の勢いで銛を打ち込むのだが、それまでは漁師が舳先に立って、海面を見つめてクジラの潮吹きを探し続ける。海が荒れようと風が吹こうと、微動だにしない。
当時は欧米も捕鯨をしていたが、向こうは船内から窓越しでクジラを探す。先に発見した日本船は欧米船を追い越して仕留め、あとから来る母船のために目印を突き立ててすぐまた新しい獲物を探すのだが、欧米船はこれを引き抜いて自分たちのものに取り替えようとする。そうなると日本船が駆け戻ってきて、喧嘩である。日本人船員は体こそ小さいが、船の舳先で踏ん張ってきた自力が違う。あっという間に大男たちを頭上に抱えて海に放り込んでしまう。
その話を聞いてから、捕鯨船の船員は子供時代のヒーローだった。それが悪いことでもしているかのように言われて小さくなってるのを見て、ウルトラマンがけなされているような寂しさを感じ続けてきたものだ。
日本は何千年もの間捕鯨を続け、仕留めたクジラたちを、ヒゲまで利用し尽くし、すべて供養してきた。その間クジラが絶滅したという話は聞かない。さんざん殺しまくって、脂だけとった残りを捨ててきた連中とは違う。要するにこれまでエキスパートが素人の理屈に引っ張り回されてきたのだ。バイバイ、便所協会。そして見ていろシー・シェパード。次に現れたら、自衛のためやむなく海に叩き込んでやる。
命を守るために人も動物も食物を必要としています。人間は牛も羊も豚も鶏も食べます。そして魚もです。クジラは哺乳類ですが、他の動物も哺乳類ですね。哺乳類の鯨肉を食する事が悪いと言う彼らのその口で動物の肉を食べているのではないでしょうか。それも我が国よりも大量に。資源保護の観点から捕り過ぎはいけないでしょうが。
牛や馬も出荷されるときには泣いたりするそうですね。クジラだけ知能が高くて感情があるわけではないようです。
北海道の人に比べれば、本州で育った僕たちは、さほどクジラの味を知りません。でも前職の同僚の父親が白糠漁協の関係者らしく、彼は「クジラは尾の身が美味い」と言っていました。釧路あたりでもクジラが上がったのでしょうか。
私が見たのは厚岸に行ったときです。ただ、子供だったのでそこからどれくらい移動したかわかりません。釧路方面だったかもしれません。本州でそれほど食べなかったとは知りませんでした。尾の身は美味しいですが、クセのある本体と比べればという感じなので、今ならどうでしょうね。
痛快ッ!白鯨を思い出しました。クジラとの因縁の格闘です。ヤルかヤラレルか、イチかバチか、クジラ漁には、生か死かの壮絶さがありますね。
白鯨はアメリカの小説で、グレゴリー・ペックで映画化もされてましたね。アメリカも盛んにやってたんですからね。