1964年東京パラリンピックの衝撃

東京オリンピックが来年に迫ってきた。それにつれて、55年前の東京大会の情報も増えてきたが、同時に開催されたはずのパラリンピックについて、全く記憶が無いのに気づいた。そこでネットを調べると、情報は少ないながらも、非常に興味深い記事に出会った。

http://www.ssf.or.jp/history/legacy/tabid/1106/Default.aspx
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO25078610W7A221C1000000/

ざっくりいうと、64年にもパラリンピック東京大会が開催された。日程は、11月8日から12日まで。東京オリンピック閉会式の10月24日の直後に、かなり慌ただしく開催された。日本選手団の成績は、卓球の金メダルが1つあったものの、惨敗だったらしい。さらに関係者にとって衝撃的だったのが、海外の選手が明るくたくましいスポーツマンで、ほとんどが職業を持っていたこと。それに対し日本選手団は、この大会に合わせて医療施設などからかき集められた人たちだった。障害者は気の毒で、守ってあげるべき人たちという意識しかなかった日本社会が、海外との差を見せつけられた大会だった。

現在普通に見かける点字タイルや車椅子用スロープ、車椅子マラソンなどの競技大会は、もとをたどれば、64年の東京パラリンピックの衝撃から生まれたものなのだろう。選手だけでなく、日本人の福祉意識までが惨敗という衝撃的な大会だったが、社会への影響は大きかった。2020年のパラリンピックでは、ぜひ快勝した上で、さらなる好影響を残してほしい。

1964パラリンピック東京大会のシンボルマーク。無断掲載はまずいが、あまりに紹介されなさすぎたので、怒られるまで掲載。

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