刺又(さすまた)

江戸町方十手術の話をしたついでだが,最近防犯用として「さすまた」が販売されているが,江戸時代の捕物で使われた本物に比べると,随分危険なものになってしまったと思う.江戸時代がではなく,現代のが危険なのだ.
sasumata見て分かるように,江戸時代の捕物に使われた刺又などには,棘がついている.一見こちらのほうが危険物のような気がするが,なにもない棒を二人で掴んだら,体重が重く力のあるほうが奪い取ってしまう.刺又のように先端が広がったものならなおさら,モーメントが働くので,柄だけ握ってる側は,簡単にねじりとられてしまう.
もしそうなったら棒は怖い.軽く振り回しても,長い分遠心力が働き,当たったときのダメージが大きい.真剣と渡り合っても余裕で勝てるような武器を,相手に渡してしまうことになる.現代のさすまたは,そうなってもおかしくない危険性をはらんでいる.それに比べて江戸時代の刺又は手を痛めてしまうので握れないようになっているし,恐ろしげな見た目で威嚇し,無傷で鎮圧することができるかもしれない.棘の部分で叩きのめすわけではないのだ.
現代のものは二股の部分で相手の胴を挟むつもりらしく,いちだんとモーメントが効きやすく,ねじり取りやすい形になっている.それに対して刺又は,股の部分が狭いので,胴を挟むものとは思えない.おそらく全く違う使い方をする道具なのだろう.その使い方を会得して,初めて役に立つ道具なのだ.PCでも自動車でもそうだが,世の中に高性能な道具というものはない.上手に使いこなす人がいるだけだ.

次回「年末スペシャル 鬱なサイト集」(12/22)公開予定 乞うご期待!

吉良上野介

元禄15年の今日,赤穂浪士の討ち入りで命を落とした吉良上野介というのは,どういう人物だったか.歌舞伎や映画のお陰で,すっかり悪人のように思われているが,決して底意地の悪い年寄りではなかったようだ.
上野介は高家肝煎(きもいり)という,極めて高い身分の旗本だった.徳川家,松平家以外の家柄としては,最も高い地位についていた.しかも,元禄三大美男に数えられるほどのイケメンだったという.(残りの2人は水戸光圀と誰か)領地は現在の愛知県だが,上野介自身は江戸生まれ,江戸育ちの江戸っ子.だからなのか,気さくで気取らず世話好きな好人物だったらしい.
一方,浅野内匠頭もまた江戸生まれの江戸育ち.領地に入ったのは,元服の際に一度だけで,大石内蔵助とはその時に一度会ったきりである.内匠頭は16歳の時に一度勅使饗応役を勤めていて,その際も吉良上野介が後見として,無事大役を済ませている.
問題の松の廊下の時点で内匠頭は30歳.二人は二度目のコンビで,お互い江戸っ子.いまさら田舎大名と蔑んだり,いじめたりというのは,あまり無いように思える.親切に指導したらなぜか逆ギレされて怪我を負わされ,家臣の逆恨みで殺害され,首を斬られて槍の穂先にくくりつけられたまま,沿道の喝采を浴びながら泉岳寺まで凱旋パレード.その後も歌舞伎や小説,映画,TVと,何百年間も憎まれ役にされてるとしたら,将門や道真並に国に祟っても不思議ではないくらいだ.

次回「刺又(さすまた)」(12/18公開予定)
乞うご期待!

江戸町方十手術

若い頃,古武道の一種の「江戸町方十手術」を,ほんのちょっとだけ習ったことがある.享保の改革の際,大岡越前守の町奉行所改革に始まる,伝統ある武道だ.

十手(「じゅって」ではなく「じって」と発音)を持つのは,同心や与力と呼ばれる幕府に帰属する役人で,銭形平次のような目明かしは所持してはいけない.ただし,役人以外でも,武具の一種と使う武士もいて,流派もいくつかあった.大きさも平次親分が持ってるような小さなものではなく,ものによっては1M近くもある鉄の棒だ.

江戸の町で刀を持っていたのは侍だけではない.武士のように自分のために作らせたり,家伝の刀があるわけではないものの,古道具屋に行けばいくらでも売っていたので,町人や農民でも買うことができた.剣術の町道場というのも町人のためのもので,武家では専任の指南役を召し抱えていた.そのため犯罪者は身分に関係なく大抵刀を持っていて,捕まりそうになると,獄門さらし首が待ってるだけに,死にもの狂いで刀を振り回して暴れた.

それを捕まえる町方といえば,侍であっても犯罪者を勝手に斬り殺すことはできない.十手という鉄の棒だけを頼りに,半狂乱で刀を振り回す相手を制圧しなければならないのだ.もし戦場であれば,命をかけて戦って手柄を立て,首尾よく褒賞にありつくか,領地をもらって子々孫々まで安楽な生活が出来るかもしれない.ところが町方役人は,十分な武装もなく,出世や褒賞もなく,命をかけなければならなかった.だから江戸時代の彼らは武士の中でも実践で鍛えられた武芸の達人が多かったとはいうが,やはり怖かったのである.中村主水が裏稼業に手をだしたのも分かるような気がする.

いざ捕物となったときは,突っかかってくる犯罪者の前に立ちはだかり,一定の所作をしながら「破邪顕正」(邪なるを破り,正しきを顕す)と唱え,自分は正しいことをするのだと自分に言い聞かせる.さらに口に出さずに「アビラウンケン」と念じ,神仏の加護を願う.現代人からすると迷信やまじないにすぎない様に思えるが,本当の命のやり取りの場では,人間は取り乱すということがよくわかった上で,少しでも冷静さが取り戻せるなら何でもするという,合理的な行動だ.

十手の使い方は,犯人の斬撃を受け流すのが基本である.カギ部分の使い方は習っていないでのわからない.そして相手が姿勢をくずしたところを,鉄の棒でひっぱたき,ひるんだ相手の手と体の間に十手を差し込んで背中でねじり上げ,テコの原理で片手だけで相手を押さえつける.ここから先は動画でも「公開できない」と言っているが,空いてる片手で懐から「早縄」という細くて丈夫な縄を取り出す.早縄の先端についたカギを相手の襟首にひっかけ,口と片手を使って相手の体と足を巻いてしまう.ちょうどうさぎ跳びのような格好に縛り上げ,残った縄を伸ばして端を持つ.こういう窮屈な格好にしてしまうと,縄をかるく引っ張っただけでバランスを崩し,犯人はつんのめりながら,自然に前に進んでしまう.役人一人だけでも,捕まえた犯人に暴れられたり,その場にしがみついたりされずに,連行することができるのである.

マンガの知識だと思うが,同心の雇用は1年契約で,毎年大晦日に奉行の役宅を訪ね,寒空の中順番に並んで,ひとりずつ「永年申し付ける」という約束をもらわないと,翌年から仕事がなくなったという.単なる年末のご挨拶を,誇張して哀れっぽく描いただけかもしれないが.

次回「吉良上野介」(12月14日公開予定)
乞うご期待!