太陽に名前を刻む / NASA太陽観測プロジェクトに参加した話

今年8月、NASAは史上初の太陽観測宇宙船「パーカー・ソーラー・プルーブ」を打ち上げ、太陽の大気圏に突入して観測データを送ってくる。このプロジェクトに先立って、世界中から、宇宙船に搭乗するチームを募集中だ。搭乗と言っても、名前を宇宙船のメモリチップに記録し、太陽まで行くということだが、このたびその登録を行ってみた。本プロジェクトが成功した暁には、皆さんも太陽を見るたびに、そこに刻まれているであろう私の名前に想いを馳せて欲しい。(※太陽を肉眼で直視しないこと)アレキサンダー大王やチンギス・ハーンがその名を轟かせたと言っても、しょせんは地球上だけのこと。遠く太陽までとどく我が名に比すれば、塵芥の如きものであろう。

ということで、4月27日まで、誰でも無料で登録できるので、その手順を紹介してみたい。(登録はあくまで自己責任でどうぞ)

http://parkersolarprobe.jhuapl.edu/The-Mission/Name-to-Sun/ にアクセスする(画像をクリック)名前とメールアドレスを入力し、「submit」をクリックする
この画面になったら、NoReply-Parker-Solar-Probe@bitbucket.jhuapl.eduから登録したアドレスにメールが届いているので、メール文中下段のリンクをクリック。
メールのアドレスをクリックするとこのページに飛ぶので、「CONFIRM MY SUBMISSION」をクリックする。この時にエラーが出る場合は、届いたメール中のリンクアドレスから前後の*を取り除いたアドレス部分だけをブラウザに入力してリンク先へ行くこと。(NASAが間違ったのかもしれない)
これが出れば登録完了。パーカー・ソーラー・プルーブがあなたの名前を太陽まで持っていってくれる。「View Your Certificate」をクリックすると証明書が表示される
これがアメリカン・テイストあふれる証明書。自分の名前がちゃんと入った、NASAのホット・チケットでVIPパスだ。PDFなので自分のPCにダウンロードできるぞ!

※太陽の大気圏について
太陽にも大気圏が存在する。地球の大気圏は地球のごく表面だけに薄くへばりついたように存在する空気の層だが、太陽の大気圏は表面から800万キロ、太陽の半径の約12倍もの場所まで広がる巨大な層だ。今回のプロジェクトは表面から650万キロの位置を通過しながら観測する。大気圏という言葉から受ける印象よりずっと遠い位置からの観測ではあるが、それでもすさまじい高温であることに変わりはなく、宇宙船は摂氏1400度の高熱に耐えるように作られているという。

パーカー・ソーラー・プローフについてはWikiにも記事がある。

 

老耳

年をとると耳が遠くなり、トイレは近くなる。これを遠近両用という。

若い頃、高齢者がトイレが近くなったと言うのを聞いて、てっきり「トイレに行く回数が増えた」ということだと思っていた。だが、実際にその年令になってみると、「近い」というのは尿意を感じてから危険水域までの時間が短いという意味だった。例えば自宅などへの帰路、残りこれくらいなら途中公衆トイレに行かなくても大丈夫だったのが、帰るなりトイレに飛び込んでギリギリセーフということになる。これについては、諸先輩方も「近い」などと上品な表現でなく、「我慢が効かなくなる」というような、わかりやすい表現をしてほしかった。

ところで目が遠くなることを老眼というのに、耳が遠くなるのをなぜか「老耳」とは言わない。見ただけでどういうことかすぐわかるので、あっても不思議ないのだが、調べても難聴をそう呼ぶ例がなかった。老子と重耳(中国春秋戦国時代の晋の文公)を合わせたようで、いい感じなのに。そのかわり老耳と書いて「おいのみみ」と読む言葉があって、室町時代の連歌師「宗長」の句集の名前とのことだそうだ。せっかくいいことを知ったので、汚い話ではじまったのをむりやり上品な話題で締めてしまおう。

ひさかたの-ひかりもはなの-はるひかな(宗長/老耳より)

シェイプ オブ ウォーター

アカデミー監督、作品、美術、音楽の4賞を獲得した、ギレルモ・デル・トロ監督作品。多くの映画ファンにトラウマを残した同監督の「パンズ・ラビリンス」でさえR12だったのが、今回はR15とあって、途中で叫んだり飛び上がったりしないよう、心に強く言い聞かせながら見に行ったが、その心配はなかった。
作品はコメディに近いタッチで描かれた、大人の童話という感じなので、うんと奇抜なものを期待していくと肩透かしかもしれない。ただし、オーソドックスなラブストーリーでありながら、ハリウッドのお約束を微妙に外しながら話が進むので、次に何が起きるかわからないワクワク感がある。その辺がメキシコ人ならではの感覚なのだろう。この監督でなければ見ることのできない映像が随所にある一方、ラ・ラ・ランドかなと思うような演出もあった。これは最近の流行りなのだろうか。エンドロールはごくシンプルな黒地に白文字が流れるだけなのだが、個人的には近年の映画でピカイチと感じた音楽が流れ続けたので、明かりがつくまでゆったりした気分で座っていられた。