タイトル画像の話 / 昔のジャズクラブ

昔、海外の広告などには、よくこんな風な簡略化されたキャラクターが描かれていた。今でいえば「いらすとや」の作品をどこでも見かけるようなものだが、同じ作家ではなくその時代の流行りだったように思う。日本でも柳原良平氏の作品などは、その流れだろう。当時のように筆やペンで書くとなるとそれなりに難しいが、お絵かきソフトだと簡単に描けてしまう。
今回はキャラクターを切り抜いた板を床に立て、スポットライトを当てて影を落としてみた。平面と3Dの合体である。ライトを赤くしてみたり、以前作ったネオンサインを持ち込んでみたり、試行錯誤しながら楽しく作れた。ただ、楽器はなまじ触ったことがあると大胆なデフォルメや省略ができない。無くても誰も気にしないのにマウスピースをちゃんとつけたり、ストラップはどうしようとか、どうでもいいような箇所で悩んだ。

自慢話

年寄りの自慢話は聞き苦しいと言われる。だが、事実が自慢に聞こえるというなら、それは仕方がない。ということでさっそく自慢話だが、下記のサイトのリズム感診断で一発で満点をとった。レベルは「一流ミュージシャン並」だそうだ。照れるぜ。敗北を知りたい・・・

敢えて自慢し続けるが、実は以前に海外のもうちょっと難しいサイトでも満点だった。ちなみに現在70歳。どうかね、若者たちよ、ひとつこの年寄に挑戦してみないかね。

さてこの動画作者は、譜面に書いたときに単調なリズムは簡単で、複雑なものは難しいと考えているらしい。レベル1から3までは、単調なリズムをメトロノームのサポートなしでどれくらい長い間キープできるかをチェックされるが、レベル4と5はやや複雑なリズムをキープできるかどうかをチェックしている。だが、実際には3までは難しくなるが4以降はリズムに「表情」がついているため、キープしやすい。メトロノームの正確なリズムを聞いてると、思わず踊りだしたくなる、というわけではないだろう。

日本人のダンサーは世界レベルだそうだから民族的にはリズム感が優れている方だと思う。が、三社祭のお囃子や阿波おどりなど、地域のお祭でリズムの奔流に身を任せるという経験が減り、聞いてるだけだといくら若い人でもリズム音痴になってるかもしれない。などと、思い切りマウントをとってみた。

コンビニ富士はフェイク?

ちょっと前に、コンビニの屋根に富士山が乗っているように見える「コンビニ富士」の見物客が、地元に迷惑をかけているという話題があった。が、あれはそもそもがフェイク画像だったらしい。

というフェイク画像を作ってみた。ワイドショー画面風に作ると、それらしく見えてしまう。なかなかおもしろい。

コンビニ富士自体は決して悪いものではない。さかさ富士だって他愛もなさでは似たようなものだし、何より庶民が見つけ出した新しい美というのがいい。行政や企業、代理店が作ったイベントはまず長続きしないが、こういうものが案外長い年月を経て、伝統文化になったりする。見物客の迷惑行為も、当初は仕方がない。放っておいてもそのうち落ち着くところに落ち着いたとは思うが、フェンスを作ったのはいかにも(※)じゃない。

そこでこの画像である。そもそもがフェイクだったという見立てだが、コンビニ富士にとびついた素朴な人なら、おそらくこの「衝撃の事実」にもとびつくかもしれない。無駄足を嫌って衝動的に駆けつける数は減るだろう。が、そのうちこのインタビュー画像こそがフェイクで、コンビニ富士は健在だという情報が流れるだろう。そこからが面白いところだ。

現地へ行き画像や動画を公開しても、それは何の証拠にもならない。これほど情報網が発達した時代なのに、大勢の人に認知されればされるほど事実を確信できるのは現場を見た人だけ。信頼関係のある人の間でしか信じてもらえないという不思議な現象が起こる。さらにネット上では、これは富士を舞台にした大フェイク合戦だと気がついて参戦する人も増えるだろう。フェイクかファクトかも大事かもしれないが、面白いかどうかのほうが面白い、そんな時代にならないだろうか。

本当のことを言ってるフェイク画像

※粋(いき)
洒落ていて機知に富むこと。江戸庶民に根付いていた美意識。
最近粋なものごとを見かけなくなったので、死語になったのだろうと思って解説を。