タイトル画像の話 / 展覧会

blenderで試したい技術があったので、作ったもの。意味のない形だが、展示会風にするとそれらしく見えたのではないかと思う。

CGの物体の色は照明の使い方で全く変わる。例えば赤い物体でも、光が強くあたった箇所は白、当たらない箇所は黒になる。それ以外の箇所はピンクだったりえんじ色だったり、全体的に茶色にしか見えないというようなことも起こる。さらに鏡面のように光を反射するのか、または布のように反射しないかなど、表面の性質でもかわる。
なので画像全体としては光線のあたり具合によって、あちらを立てればこちらが立たずで、思った通り作るのは難しい。最終的にお絵かきソフトでハイライトや影を描き込んでしまうことも多い。今回はそういう後工程なしでできたので、なかなか満足である。

こんな風に照明や物体の素材感の、いい感じの組み合わせが見つかったらそれを記録し、蓄積してゆくのがCGのノウハウだが、そこまで書いてる解説書はない。体当たりで独学するしかないのだ。自分は40年以上3DCGをいじってきて、少しはノウハウがあったつもりだったが、BLENDERに乗り換えたらそれらが通用しなかった。ようやくわかってきた部分もあるが、実写背景との合成や、動画作成など、先は長い。ノウハウを積めば積むほど新しい技術が追加されていくところは、逃げ水を追いかけてるようなものだ。そこが面白いところでもあるのだが。

自家製の醤(ジャン)

昔から自家製の唐辛子調味料を自作している。中華料理で言う醤(ジャン)というやつである。唐辛子、豆鼓(トウチ)、煎りゴマ、干しエビ、ニンニクやタマネギを揚げたものなど、決まったレシピはなく、減ってきたら唐辛子と他になにか適当な材料を足して使い続けてきた。容器だけは時折消毒したものに取り替え、残っている醤と新しい材料を混ぜ合わせ、表面まで油を足して冷蔵庫に保存する。分量が適当なので、時期によって激辛になったりピリ辛になったりするが、味に深みがあるので、餃子や包子に使うとシンプルなラー油よりうまい。

これも最初は唐辛子粉を多めの油で炒めただけの自作ラー油だったが、思いつきであれこれ足しているうちに、だんだんオリジナルな味になってきた。また、中華食材店に並ぶよくわからない醤をつい買ってしまい、あまり気に入らなかったときも、自家製醤のベースに混ぜ込むとシナジー効果を発揮して、より複雑で奥深い味わいになる。

蔵書を借りて読む

ある人から蔵書をお勧めされて読んでいる。自分では読まないジャンルの本は新鮮な気持ちで読めるだけではなく、感想を添えてちゃんと返さなくてはいけないので、読み方も丁寧になる。自分はもともと買って読むタイプだが、買っただけで満足して積ん読になることも多い。なぜか無料の図書館の本のほうが、借りた以上、読まないと損をするような気がするので買うより良かったりするが、読みたいジャンルの蔵書は少なく、どんな本も期限が一律なので読みきれなかったり、逆にあっという間に読めて返却が億劫だったりする。

蔵書を借りて読むというのは、昔の人の読書法と同じように、読む者に覚悟が必要だ。
昔は本は貴重なのでよほどの人しか所有していなかった。例えば私塾や僧院などに入門し、重要な書籍を師匠から預かり、何度も声に出して読みつつ写本して写しを手元に残し、同時に頭に覚え込ませる。ここまでやって「学び」のスタートラインに立ち、あとは生涯かけて内容を考察し、自分の知恵とする。そうして大切に読み続けた写本は、さらに若い人に貸し出す。古典的名著は、そうやって伝えられてきた。

現代社会ではそんな悠長なやり方は通用しない。これはあくまで凡人、非才人でもそれなりに知恵に到達できるための、いわば猿でもできる学び方。意味はわからなくても暗記してしまえば、そのうち人生経験を積むにつれて「ああ、あれはこのことを言っていたのか!」と手を打つこともあるかもしれない。そんな不器用な読書法だ。だから、一読して内容に精通できる秀才にはふさわしくない。現代人は、膨大な情報を次々とチラ見するだけで、”頭に入っちゃう”秀才ばかりなのだ。
だが我々年寄はそうはいかない。頭は回らない、知らない単語が出てくる、読み疲れするという調子なので、時折昔の人に倣って声に出して読むことがある。それでも理解できなくなったら写本でもしようか。