蔵書を借りて読む

ある人から蔵書をお勧めされて読んでいる。自分では読まないジャンルの本は新鮮な気持ちで読めるだけではなく、感想を添えてちゃんと返さなくてはいけないので、読み方も丁寧になる。自分はもともと買って読むタイプだが、買っただけで満足して積ん読になることも多い。なぜか無料の図書館の本のほうが、借りた以上、読まないと損をするような気がするので買うより良かったりするが、読みたいジャンルの蔵書は少なく、どんな本も期限が一律なので読みきれなかったり、逆にあっという間に読めて返却が億劫だったりする。

蔵書を借りて読むというのは、昔の人の読書法と同じように、読む者に覚悟が必要だ。
昔は本は貴重なのでよほどの人しか所有していなかった。例えば私塾や僧院などに入門し、重要な書籍を師匠から預かり、何度も声に出して読みつつ写本して写しを手元に残し、同時に頭に覚え込ませる。ここまでやって「学び」のスタートラインに立ち、あとは生涯かけて内容を考察し、自分の知恵とする。そうして大切に読み続けた写本は、さらに若い人に貸し出す。古典的名著は、そうやって伝えられてきた。

現代社会ではそんな悠長なやり方は通用しない。これはあくまで凡人、非才人でもそれなりに知恵に到達できるための、いわば猿でもできる学び方。意味はわからなくても暗記してしまえば、そのうち人生経験を積むにつれて「ああ、あれはこのことを言っていたのか!」と手を打つこともあるかもしれない。そんな不器用な読書法だ。だから、一読して内容に精通できる秀才にはふさわしくない。現代人は、膨大な情報を次々とチラ見するだけで、”頭に入っちゃう”秀才ばかりなのだ。
だが我々年寄はそうはいかない。頭は回らない、知らない単語が出てくる、読み疲れするという調子なので、時折昔の人に倣って声に出して読むことがある。それでも理解できなくなったら写本でもしようか。

タイトル画像の話 / バスケットボール

螺旋階段を作ってみたかっただけで、深い意味のない絵柄なので、アクセントにバスケット・ボールを転がしてみた。

バスケットは遊びで触ったことがあるだけなので、どんなふうに皮を貼っていたか、すぐに思い浮かばなかった。表面がザラザラに加工してありかなり重かったことなどは思い出したが、皮の貼り方だけは検索しなければならなかった。野球やサッカーに比べると単純だったと思っていたが、案外むずかしい曲線のパーツでできている。タイトル画像では小さくて判別できないが、ちゃんと8枚のパーツに分かれていて、縫い目の部分はやや食い込んだように仕上げてある。
最初に色分けされたボールが頭に浮かんだが、調べてみるとプロでもタイトル画のような茶色のボールだけを使っている。ボールの色は一色ということがルールで決められていて、色分けしたものは公式戦以外のイベント用らしい。地味かなと思ったが、実際画面に転がしてみると公式球ならではの存在感がある。
ちなみに色については1色とだけ決められていて、どの色かまでの規定はないそうだが、オレンジが慣例になってるそうだ。自分が触ったことのあるボールは学校などのもので、オレンジではなくこげ茶色に近かった記憶があるが、あれは若者の汗と涙が染み込んだ色だったのだろう。

イメージ戦略考

一般に、企業や組織は「イメージ」でも判断される。大企業だけではなく中小、零細企業も同じで、企業イメージは時間が経つにつれて劣化していく。例えば創業時代には、経営者自らが取引先などを駆け回り、将来のビジョンなどを語る。その熱気は、毎日接する創業メンバー社員にも伝わる。それが年数を経て企業の規模などが大きくなると、顧客が主に接するのは社員になり、商談なども事務的、個人的になってしまう。そうなると「あの会社は昔は熱気があったが、今はただの◯◯屋さんになってしまった」と思われることになる。

日本は、失われた〇〇年の間にメディアからはイメージ広告が激減し、価格や品質の連呼型が主流になった。かつて華やかさを競ったデパートのショーウィンドウも、どこもスペースや展示物が縮小した。かつては華やかなディスプレイで季節の移り変わりを感じさせてくれたショーウィンドウは、ブランドのロゴがならぶばかりで、シャッター商店街さながらになった。これは、都心のドーナツ化現象とは「鶏と卵」の関係だと思う。

中小零細企業であっても、イメージ戦略は必要だ。商品、品質、サービスなどの充実に努めてきた実直な企業も同様だ。良いイメージほどささいなことでも劣化しやすい。良心的でありながら淘汰されてしまった企業は多いが、見えないイメージ劣化がその原因のひとつかもしれない。