ブログのカテゴリー管理の威力

最近特に、ブログのカテゴリー管理の重要さを感じる。本サイトのGoogle Analyticsでも、上位にランクされているのは記事そのものではなく、「カテゴリー名」だ。来場者がアクセスしてくれる理由はそれぞれだろうが、少なくとも記事のテーマに興味があったからで、同じテーマにも関心がある場合も多いだろう。そんなときに同様のテーマの記事へ読者を誘導してくれるのがカテゴリーだ。

当然ながらカテゴリー化するには、まとまった数の記事が必要だ。ブログの開設直後はその効果がピンと来ないので、サブタイトルのようなつもりでつけてしまうことも多いだろうし、ある程度続けてきたブログでも「未分類」カテゴリーが一番多いこともある。ところがなんとなく未分類にしてしまった記事でも、よく考えればちゃんとしたカテゴリーに含まれる内容であることが多い。同じ人物が書いているのだから当然だ。
当サイトでは、たまたま来場者の多かった記事に対して、カテゴリーを立てるだけでなく、カテゴリー専用バナーを記事の末尾に設置している。タイトルの直下にも小さいカテゴリー表示はあるが、あえてやってみたのだが、今来場者の多いのはすべてこのバナーを設置した記事だ。

カテゴリーが未分類のままだと、せっかく巡回してくれたかもしれない読者を、その記事だけで帰してしまう。これは勿体ない話だ。専用のバナーをつけるだけでなく、未分類カテゴリーにした旧記事に、新たにカテゴリーを立てていくのも有効だ。時事ネタや極端なプライベートでなければ、大げさな話題でなくてもカテゴリーにまとめてあるだけでそれなりに表示回数が上がる。過去の遺産を再利用するわけで、新たな記事を書くよりも労力がすくない。

上手なカテゴリー化については目下研究中で、投稿とはまた違った難しさがある。本の編集作業のようなもので、作家の数に比べると編集者は極端に少なく、アマチュアの編集者というのもあまり聞かない。そのへんが編集という作業を表していると思う。なお、WORDPRESSでは、いつのまにカプラグインなしで記事に「タグ」をつけられるようになっていた。カテゴリーとどう使い分けるかが妙味だろう。

「未分類」には掘り出し物が。カテゴリーが未分類のままでは勿体ない

タイトル画像の話 / 雑誌とキーボード

昭和時代のCGでは、開いた雑誌のページを作るのがちょっとやっかいで敬遠していたが、Blenderなら一発。もっともらしい紙面づくりを楽しむことができた。

それだけでは寂しいので電子楽器のバーチャルなキーボードを投影させることを思いついた。PC用にそういうのがあったので、楽器にもあるだろうと。だが、それがやっかいだった。密閉した箱の中に光源を置き、底面にキーボードの形の穴をあけて漏れた光をデスクに投影する。理屈はそうなのだが、穴の切り抜きや光源の位置の調整などがけっこう面倒だった。

ちなみにロゴは某有名メーカーではなくハマヤ。見えづらいが、マークも音叉ではなく3本の破魔矢だ。そういうしょうもないおふざけはCGより得意だ。

ChatGPTは検索エンジンを超えるか

Googleが、ChatGPTの検索エンジンとしての利用増に相当な危機感を抱いているらしく、Chrome版のGoogleトップページには、AIの質問枠がつくようになった。個人的にも、確かに検索エンジン代わりの利用が増えたと思う。検索エンジンは関連するサイトのURLを紹介してくれるが、内容についてはリンク先サイトを見て、自分で判断しなければならない。そもそもどんなキーワードにするかも思いつかない場合も多いし、法令文書や専門技術文書にあたると、読解できないことも多い。例えば「一夫多妻制の国から、夫婦で日本に帰化した場合、夫婦関係は認められるか」という疑問の答えを、リストアップされた法律関係サイトの文書を見比べながら読み取るのは難しい。
さらに個人サイトになると、肝心の情報に行き着く前に自分語りがあったりする。勝手に見に行って失礼な言い方になるが、遠足の作文で朝起きて顔を洗うところから始まる、小学生の作文のような文章は、案外多い。
ChatGPTの場合は、サイトまで行かなくてもおおよその情報が手に入る。ネット上のことなので、情報の信憑性についてはどちらが優位ともいえず、要は使い分けが必要だろうが、使い分けられた分だけ検索エンジンの出番は減る。Googleが懸念するように、逆転されることもあるかもしれない。

最近はChatGPTに興味本位の質問をするのが、ちょっとした趣味になってきた。面白い情報を引き出せるような質問を考えるのも、脳の老化防止に役立つと思う。

なにか絵になるネタはないか検索したら、コロンビアの地方都市に「ChatGPT」という名のレストランがあった。ストリート・ビューで見に行ったら、ご覧の通りボケボケ。たとえコロンビアでも、便乗商売は許さない、という強い意思を感じる。