タイトル画像の話 / ベラ・ノッテ

リストランテの看板風。技術的に高度なころはなく、ポリゴンも少ないので、その分手をかけてみた。最近は生成AIが流行りで技術面で追いつけないかもしれないが、アイデアや手間をかけて人間が作ったものの良さを追求しているつもりだ。

キャンティの空き瓶に灯したろうそくと、壺に入れたグリッシーニは、昔風のリストランテのシンボル。映画「わんわん物語」で、”映画史上のロマンチックなキス、ベスト8”に輝いたあのシーンにもあった。

ちょっとやんちゃな街っ子が、箱入りのお嬢さんをなじみの店に連れて行く。店も承知したもので、2人だけの特別の席を作って、歌まで歌ってムードを盛り上げる。ナンパの片棒担ぎとも言えるが、それこそが昔ながらの飲食店の本領である。星やこだわりの食材、計算されたマニュアル・サービス以前の、店主の心意気や存在意義に関わるもので、昔はそれに助けてもらったカップルは多かったが、今はどうだろう。

ちなみに主人公の伊達男の名前はトランプ。あの人が登場した時も、アメリカ人はこの映画を思い浮かべたはずだ。そしてテレビの人気者になって大統領にもなり、星条旗を背景にして血だらけで拳を振り上げる。「持ってる」というのはこういうことを言うのだろう。資産も生まれ育ちも学歴も、それに比べればささいなものだ。
「いろいろやらかしてるようだが、俺はあいつを信じるぜ。なんたってトランプだからな」
そういうアメリカ人は多いのだろう。

福島第一原発事故の真実 / NHKメルトダウン取材班

2011年3月11日の東北大震災による福島第一原発事故のドキュメンタリー。10年の歳月を費やした、700ページを超える大作である。果たして読みきれるか、内容についていけるか挑戦のつもりだったが、誤解を恐れずに言えば「面白かった」。本書はドキュメンタリー調の前半と、検証中心の後半部分に別れていて、特に前半では当時感じた驚きや恐怖感が蘇るようで、迫力があった。

本書では、まだまだわかっていることは少ないことが、繰り返し語られる。「吉田調書」を始め、当時の関係者からの聞き取り記録などが中心で、事故そのものの調査はドローンなどによる遠巻きなアプローチが行われただけだ。やむを得ないこととは言え、例えて言えばマンションで重大犯罪事件が発生したことは間違いないが、隣室や通行人が物音を聞いたという証言があるだけ、現場に誰も立ち入っておらず、鑑識も行われていない状態のようなものだ。

また、気になる点はいくつかあった。事故当時高圧になりすぎた蒸気を外部に逃がす「ベント」作業が行われることになったが、所内の全電源が停止していたため、圧力計などが読み取れず、実際に排気されたかどうか判断ができなくなっていた。本来この作業は建物から轟音と大量の白煙が吹き出すので、計器を見なくても稼働状態がわかるはずなのだが、福島第一では、アメリカの原発では数年に一度行われている定期試験が行われておらず、白煙のことを知るものがいなかったという。他にも本来行うべきだがしないで済ませている試験があるのではないかと勘ぐられても仕方ない。

また、事故前にも他の原発関係者や研究者など、津波のリスクに気づいていた人もいたが、社内や電力業界に残る縦割り体質の弊害で、情報が届かなかったとしている。この記述も気になった点で、何でも縦割りの弊害に結びつけようとする、「マスコミ節」を感じる。
縦割りの弊害を言う人は、「正しい情報が自動的に組み上げられるシステムが欲しい」ということなのかも知れないが、組織というのは縦割りのものなのだ。その界隈で重要な情報を得た者は、その時点で何が何でも上や中央へ情報を届けなければならない責任が生まれると思う。それには勇気が必要だが、社会的な影響の大きなシステムは、何より人の勇気が積み上がったシステムであってほしいと思った。