楽器演奏は脳にどのような影響をあたえるか(動画)

楽器演奏が脳にどのような影響を与えるかという動画。根拠もはっきりしない内容ではあるものの、1400万再生もされていて、いかに関心が高いかわかる。私の実感としては当たらずとも遠からずだが、初心者については全く正しいと思う。たとえ間違ってばかりでも、脳の活動を高めてくれているだろう。囲碁を始めても同じだとは思うが・・・。
ある程度の上達者でも、さらに脳の機能を高めてくれるかといえば、よくわからない。楽器を弾いていても年齢の影響は避けて通れないので、しいていえば、「楽器演奏のためには、脳のフル活動が必要」であるとは感じる。

高齢者でも上手くなれるかとよく聞かれる。プロのようにという意味なら、高齢者どころか子供時代からやってもほぼ100%の人が無理だと思う。プロに必要な才能は、努力でどうこうできるほど甘くはないからだ。ただし、プロ並みでなければ楽しくないのかといえば、全くの逆だと思う。むしろプロへの道は厳しすぎて楽しそうではない。極端に言えば、音楽ではなくスポコン的ななにかに思える。音程やリズムを外したらいけないと思い込んでいる人は多いが、それは日本の音楽教育、音楽環境の弊害だ。自分の選んだ楽器はバイオリンだが、ネット上には「練習はかくあるべし」と「べからず」な記事であふれ、テンションがだだ下がりになった。何年も練習し続け、ほんの数回完全に演奏できたときだけ喜ぶというのは、アマチュアの世界ではないだろう。

アマチュアの楽器の楽しみ方は、ゴルフのようなものだと思う(やったことはないが)。ミスショットをしても気を取り直してリカバリーできた、調子が出なかった日でもスコアはそれなりにまとまっていた。そういう楽しさもあるはずで、プロでもないのに一打ごとに首をひねりクラブを睨みつけていては、楽しくもなんともないだろう。楽器演奏もアマチュアのミスタッチは当たり前なのだから、伴奏とのずれを曲の中で追いついてみせた、難所を2周目でクリアした、などを楽しめばいいと思う。

最近知った意外な事実

湿った空気は。乾燥した空気より軽い
これはなんとなく逆だと思っていたが、水(水蒸気)は窒素などより軽いので、水蒸気を多く含む空気は軽いらしい。

札幌市と伊達市はお隣同士
これは平成の大合併で大滝村が伊達市と合併し、伊達市の飛び地になったから。伊達市といえば内浦湾に面した街なので、いくらなんでもお隣はないだろうと思ったが、地図で確認すると、かなり離れた位置に大きな飛び地があり、その東端の無意根山の尾根で札幌市と隣接している。

ファスナーの金具を務歯という
読み方は「むし」。変換でも出てこない。変換ミスだろうと思ったが固有名詞だった。ちなみに自分はよく「脳を鍛える誤変換あてゲーム」をやる。ネット上の記事などで誤変換を見つけたら本来の単語を考えてみるのだ。最近は誤変換がかなり増えているようなので、出題には困らない。

コロンブスの時代でも、地球は球体だというのが常識だった
コロンブスが地球が球体か平面か論争したというのは、19世紀に発表された伝記の中の創作。地球が球体であることはギリシャ時代の学者によって証明されており、当時の知識人には常識だった。反対された理由は、下記の図のように地球は大きな水球に浮いているので、陸から離れれば水ばかりの世界になり、補給が追いつかないからというもの。

この説はなかなかおもしろい。当時の船乗りでも海が陸より広いことは知っていただろう。だから、地球が浮いていないとすると、水没してしまうことになる。なので陸から離れればより深い海しかない。上図のように説明されたら、反論は難しい。
「地球は土の球体で、海は浅いくぼみにできた水たまり。たまたまその水たまりの面積のほうが地表より広いだけ」などという意見は、できの悪い言い訳にしか聞こえないだろう。
コロンブスが論破できたかどうかはわからない。だが、そもそもそんな議論をするまでもなく、すでに大西洋を渡った経験のある船乗りを雇ったという意見もある。昔の人だから科学知識が乏しいので、迷信を信じていたと考えたがるのは現代人の悪い癖で、当時の人も金と命がかかっていれば、十分強かに考えたのではないかと思う。

タイトル画像の話 / Happy Halloween

10月31日はハロウィン。ヨーロッパの古い宗教にルーツを持ち、キリスト教とは関係がないので、ヨーロッパや南米のカトリック国では行われず、主に北米で盛んな行事だ。と思っていたのだが。ChatGPTの話では微妙に違うらしい。

技術的な話はこれといってない。フレーバーテキストは例によってChatGPT製。ハロウィンをテーマにマザーグース風にしてもらった、ちなみにマザーグースの時代のイギリスには、ハロウィンはない。

ハロウィンはもともとキリスト教以前の、ケルト族の「サウィン」という、この世に帰ってくる死者を迎える祭りだった。アイルランドやスコットランドで根強く残っていたが、キリスト教がこの行事を取り込み、「諸聖人の日(All Hallows’ Day)」とその前夜「All Hallows’ Eve(Halloween)」を制定した。もとはカトリック化された民間信仰だったでのある。

その後イギリスで宗教改革が起こり、プロテスタントによってハロウィンなどのカトリック行事が排斥されたが、アイルランド人の移住とともに、アメリカに伝わった。そこでプロテスタントの宗教観に抵触しない陽気で健全な地域イベントとして広まっていった。

南米のカトリック国では、同時期に日本のお盆のような意味合いでもっと賑やかな「死者の日」が残っていたので、ハロウィンは広まらなかった。イタリアも同様だったが、20年くらい前からアメリカ式の仮装イベントも行われるようになったという。日本とそう変わらないタイミングだ。
これについてバチカンがどう思っているか聞いたところ(※)、「無害な仮装行事として楽しむなら問題ないが、悪魔崇拝や死の軽視につながる形は望ましくない」という立場をしばしば表明するなど、あまり好意的ではないようだ。が、基本的には「無害な仮装行事として楽しむなら問題ない」と容認してきることから、イベントとして徐々に盛んになってきているらしい。

(※)バチカンに聞いたわけではない。