今はややおさまったようだが、一時期アメリカで映画やテレビゲーム、広告などの表現上のポリコレがやかましかった。明らかに白人が主人公だった名作の続編がラテン系やアフリカ系になり、日本から輸出された作品も、登場人物の人種バランスに手を入れられた 主にアメリカ人だろうが、なぜそこまでポリコレに固執するのか、少々気になっていたので、このジャンルで評価の高い「多様性の科学」を読んでみた。
本書では、組織の多様性の欠如の例として、10.21同時多発テロを予見できなかったCIAをあげている。事件の前、ビンラディン自身が洞窟で焚き火の前にいる動画を公開した。この構図には、イスラム教徒ならその危険性がすぐわかるほど、大きな決意を示すシンボルが溢れていたのだそうだが、CIA職員たちにはその危険性がわからなかった。白人でキリスト教徒、高学歴と、生まれ育ったバックグラウンドにある共通認識に引っ張られてしまった。もし、イスラム教徒がひとりでもいれば、結果は違っていたかもしれないという。当時、日本人の自分のところにさえ、ビンラディンを名指しでまもなく何かをしでかすだろうというメルマガ情報が来ていたくらいだから、それを見過ごしてしまうというのは大失態だ。
アメリカとは人種のるつぼというほど溶け合っておらず、互いに断絶した集団が割拠しているだけの国なのかもしれない。そのことからくる危険性を察知して、過剰なほどのポリコレに繋がっているということなのだろう。イスラム教徒のニューヨーク市長が選出されたことも、多様性への渇望からかもしれない。
この多様性の問題は日本人にわかりにくいし、さらに疑問に感じるのは、日本は「単一民族による均質文化」というレッテルを貼られていることだ。日本人は人種の多様性はないかもしれないが、均質化どころか十人十色で、そもそも話の通じない人間もいる。同時多発テロを見過ごしてしまうほどの大きな穴があるとも思えない。単純に人種をミックスすれば多様性を獲得でき、組織の問題が解決するかのような考え方は乱暴に思える。
せっかく読んだのに、あまり理解できなかった。それくらいこの問題がわかりにくいのかもしれない。自分が歳だからかもしれないが。



