8月15日は「終戦の日」。昔は終戦記念日と言った。いくら年寄でも当時生まれていないが、子ども時代にも敗戦の影響を感じることはあり、国内は経済成長を始めていたが、国際的には何となく肩身が狭く感じることもあった。例えば南極昭和基地が大陸から外れた島なのも、まともな国際活動の仲間には入れてもらえないということだったらしい。
一般人にとって、戦争中よりも戦後のほうが悲惨なことも多い。かつてポーランドはナチスドイツとソ連に攻め込まれた際、無駄な犠牲を出す前に早々と降伏した。賢明な策のはずだが、アウシュビッツを作られてしまった。ひ弱でも戦い続けてさえいれば、家族が収容所に送られることはないが、安易な領土の割譲は、その地の住民の運命を差し出すことになる。ヨーロッパ各国はそういう歴史の教訓が身にしみているから、ウクライナも、僅かな領土の割譲にさえ応じず戦い続ける。
父は終戦の時、なりたての陸軍少尉として静岡の連隊にいたが、玉音放送の翌日、自分と下士官を残して基地がもぬけの殻になっていた。許可なく基地を離れれば脱走兵である。しかたがないので、残った中で一番上官である自分が行使できる権限内で、自分と下士官たちに外出許可証を発行した。なので我々子どもにも時々、「今は休暇中なんだ」とうそぶいていた。シンドラーに例えるのは大げさだが、ナチスが近づいて来た時のポーランドのユダヤ人も、占領軍が来るに決まってる基地の日本兵も、似たような運命を覚悟していたはずなのだ。
サザエさんの作者長谷川町子さんは、終戦後、進駐軍が女性に暴行するという噂を聞き、自分が犠牲になる代わりに他の家族を助けてもらおうと家を飛び出したという。実際には何事もなかったらしいが、帰宅したときに家に鍵がかかっていたのが悲しかったと述べている。
その一方で日本が戦争をしていたことを知らなかった人もいたらしいが、戦後の苦境はすべての人が経験しなくてはならなかったはずだ。
それでも開戦は愚行だが、戦後にどんな苦境が待っていたとしても講和は偉業だ。毎年この時期になると、「平和ボケ」という言葉が聞かれるが、素晴らしい言葉だと思う。戦場の兵士の、どうか生き残ってそういう暮らしをしたい、もし自分が無理でも家族にはそうあって欲しいという願いを良く表しているからだ。おかげさまでということで、自分も、この時期には心ゆくまで平和ボケを満喫することにしている。