リストランテの看板風。技術的に高度なころはなく、ポリゴンも少ないので、その分手をかけてみた。最近は生成AIが流行りで技術面で追いつけないかもしれないが、アイデアや手間をかけて人間が作ったものの良さを追求しているつもりだ。

キャンティの空き瓶に灯したろうそくと、壺に入れたグリッシーニは、昔風のリストランテのシンボル。映画「わんわん物語」で、”映画史上のロマンチックなキス、ベスト8”に輝いたあのシーンにもあった。

ちょっとやんちゃな街っ子が、箱入りのお嬢さんをなじみの店に連れて行く。店も承知したもので、2人だけの特別の席を作って、歌まで歌ってムードを盛り上げる。ナンパの片棒担ぎとも言えるが、それこそが昔ながらの飲食店の本領である。星やこだわりの食材、計算されたマニュアル・サービス以前の、店主の心意気や存在意義に関わるもので、昔はそれに助けてもらったカップルは多かったが、今はどうだろう。
ちなみに主人公の伊達男の名前はトランプ。あの人が登場した時も、アメリカ人はこの映画を思い浮かべたはずだ。そしてテレビの人気者になって大統領にもなり、星条旗を背景にして血だらけで拳を振り上げる。「持ってる」というのはこういうことを言うのだろう。資産も生まれ育ちも学歴も、それに比べればささいなものだ。
「いろいろやらかしてるようだが、俺はあいつを信じるぜ。なんたってトランプだからな」
そういうアメリカ人は多いのだろう。