ジェローム・カーン( 1885 – 1945)の作曲。演奏は2人、最初はアートブレイキーとジャズ・メッセンジャーズである。
アート・ブレイキーは日本人女性と結婚したほどの大の親日家で、また日本で最も愛されたジャズメンの一人である。そうなったのも、当時のアメリカでは、まだまだ黒人差別が強かったせいもある。彼の初来日のときには、空港に押しかけたファンが自分の出迎えとは思わず、同じ便に誰か大スターが乗ってたのだろうと思ったらしい。また、一緒に写真に収まりたいというファンに「黒人なのに良いのか?」と尋ねたとも言う。日本人からすれば憧れの大スターであり、アゴアシは興行主の負担でホテルも一流が当たり前なのだが。
二人目はエルヴィン・ジョーンズ。言わずと知れたコルトレーン・カルテットの名ドラマーだが、この人も日本と縁が深い。1966年に来日した際、トラブルで帰国できなくなったが、日本人ミュージシャンの支援を受けた。これを機に大の親日家になり、この人も日本人女性と結婚した。来日回数も多い。
いつ頃のことか忘れたが、「エルヴィンは九州で暮らしてるらしい」という噂が伝わってきた。だったらこちらでもコンサートがあるのではと期待していたら、案の定開催された。ステージや備え付けの椅子のない多目的空間で開かれたので、自分の席に行くときに、ドラムセットの裏側を触らないように通って行かなければならなかった。ドラムをやっていた同行者などは、目が皿のようになっていた。
レコードは擦り切れるほど聴いても、動画はもちろん、写真さえ限られたアングルのものしかなかった時代には、プレイヤーの演奏風景はコンサートでしかわからない。エルヴィンのドラムセットはごく普通のものだったし、オクトパスと呼ばれていても、もちろん手足は4本しかなかった。それどころか、他のドラマーに比べてもアクションが少ないようにすら感じた。それなのに、レコードを遥かにしのぐ音の奔流。終わってみれば、いつもは生意気なジャズ論議をし合う仲間も、「すごかったねえ」というのがやっとだった。