斧は忘れる、切り株は忘れない
このカテゴリーではお気に入りの映画の名台詞を紹介してきたが、これは格言だ。たしかレバノンのものだったと思う。捉え方で2通りの意味があって、自分が斧だと思う人には名言だが、自分が切り株だと思うなら、果てのない恨みの根と紛争の芽だ。互いに生まれてもいない時代の出来事について非難しあい、生まれて間もない者を犠牲にしてまで紛争を続けることになる。あの連中以外の人は、ちゃんと忘れたふりをして生きているのだが。
人生は鶏の尻、今日は卵、明日は糞
これはアフリカのことわざ。「アフリカ」とひとくくりにするのは好きじゃないが、国名は忘れてしまった。それならばと、ザルを持って待ち構える人と、ほうきを手にして追いかける人に分かれるかもしれない。
座右の銘は、必要な時に座右にあった試しがない
これは自作。「あのときこの言葉を知ってたなら」とか、「ちゃんと自分に言い聞かせていたはずなのに」とか、とにかく大きな代償を費やした挙げ句に出来上がったものだ。
ところで最近は我ながらよくウソをつく。同世代の女性には「おや、どこの娘さんかと思った」くらいは言うし、昔の同級生になら、運動部に入っていただけで「スポーツ万能だった」、友達が何人かいたというだけで「クラスの人気者だった」という調子である。
この歳になるとだれも褒めてくれない。赤ん坊の時のように立って歩いただけで絶賛して欲しい、とまでは言わないが、実情は立って歩くだけで結構つらい思いをして頑張ってることもある。だからみんな見え見えのおべんちゃらでも、「またまた、冗談ばっかり!」とか言いながら、かなりうれしそうだ。間違ったことを言ってるかもしれないが、間違ったことはしていないと思う。
でも本当の年寄りのウソは、もう少し情けないものである。
年寄りの言葉はウソまみれだ。届かなかった夢や果たせなかった約束が多すぎて、とても現実を直視できないから
これも自作だ。