タイトル画像の話 /

技術的には実に単純だが、ところどころ折れた平面に実際の光があたった影のつき具合などは、3DCGの得意技だ。また、最近は何かと生成AIと引き比べるのだが、AIは文字に弱いような気がする。風景の中の看板など、画面の一部になった文字が化けていることが多いのは、文字の形態と意味の関係がよくわかっていないからではないだろうか。例えば歓楽街の絵を描かせると、サンプルの多い「BAR」という酒場の看板の文字は間違えないが、そのままBARをPOLICEに変えてくれと言っても、ありえない光景なのでうまくいかない、というように。

昭和のバブル期は、意外なようだが「シンプル・イズ・ベスト」の時代でもあった。豪華で高級なものが増えた反動のように、装飾性を削り取ったデザインがどことなく知的で新鮮に見えたのかもしれない。なので自分のような年寄は、こういうシンプルな絵柄をみるとなんとなく懐かしさを覚えてホッとする。シンプルという触れ込みの、手抜きデザインも多かったが。
近年はさまざまなデザイン分野で、装飾性が戻ってきた。装飾の多いものは単純に作るのが大変なのだが、多分デザイン・アプリや加工機械のIT化に後押しされているのだろう。

タイトル画像の話 / 汚れや傷の効用

生成AIの登場で、手間のかかる3DCGは、伝統工芸の仲間入りかもしれないと思うことがある。1980年代に初めて本格的なCGシステムを購入したときのことを思えば隔世の感がある。立方体などの単純な形を積み重ねたり伸縮変形させて、望み通りの形を作り、表面の色や光沢を選んで仕上げるのだが、人間に見せるにはただ「完璧」なだけではなく「それらしく見える」演出が必要になってくる。

特に、傷や汚れのあるものはリアルに見えるので、好んで使われる手法だが、その傷や汚れも作ってやる必要がある。今回の画像の古くなって剥がれ落ちた塗装なども、破片をひとつひとつ作って床面に配置している。ひび割れ方も工夫が必要で、「Y」のように縁からはがれているとそれらしく見えるが、「L」のようなはがれかたはあまりリアリティを感じない。とはいえ、現実の古い壁がどれも縁から剥がれるわけではなく、あくまで人間の思い込みがそうなってるということだ。
背景の金色も、マニュアルには金の素材感を出すための三原色の比率や光沢などのパラメータが紹介されているが、その通り作ってもただの黄色い壁にしか見えないことが多い。今回は、黄色の多いイラストをうんと拡大してはりつけたもので、金のパラメータは使っていない。こうすると完璧に磨き上げられた金の壁ではないものの、ところどころくすんでいたり、周囲がぼやけて映り込むといった「現実社会で見たことのある」金工芸品などの表面に近づく。CGとは、バーチャルなデータを操作するのではなく、現実社会の観察と人間の心の洞察から生まれるものなのだ。
(※伝統工芸の匠になりきった気分で書いてみました。)

タイトル画像の話 / 無題

またしてもタイトルが「無題」になってしまった。記事のことを考えると、何かしらの具体的なタイトルが欲しくはあるのだが。

タイトル画像 / 無題

画像を作る時、最初からタイトルやコンセプトを決めつけてそれをめざす場合もあるが、なんとなく造形物をいじっていてひらめくこともある。今回は後者のほう。
近年だと、タイトルやコンセプトが最初に決めると、AIのほうができが良い場合がある。一方、ひらめき型は出来上がりを見ても言葉で説明できない。こういうタイプはAIに作らせようとしても、言葉で指示できないのでやりにくいと思う。そのへんにこれからのAI時代のクリエイティビティのヒントがあるような気がする。同じようなことを考える人は少なくないようで、今、新しく公開される画像作品の中に、リアルのペンや筆のタッチを活かしたものが多くなってきたように思う。また、AI画像では看板などに掛かれた文字が、意味のない図形になりやすい。そのへんに気がついた人が出てきたようで、手作業のレタリングやカリグラフィ作品の公開も増えてきたように思う。
本作はCG技術としてはいたって貧弱なので公開を迷ったが、AIに作らせにくいということで使うことにした。低技術、ローポリゴンCGももっと見直されてもいいと思うので。

生成AIはクリエイターに大きな重圧を与えていることは間違いないが、プレッシャーが新しい創造活動の原動力になる例も少なくない。AIに何ができるかは興味津々だが、そちらは適当なところで見切って、新たに生まれるものも見逃さないようにしたいと思う。