蝦夷家紋 / 「違い唐黍」

日本の家紋には動植物から自然現象、家財道具まで様々なモチーフがあるが、北海道にちなんだものはない。開拓使設置から150年以上経つのだから、北海道にちなんだ家紋があってもいいと思う。そこで将来、伝統的な家紋に紛れ込んでくれることを期待して、蝦夷家紋を作ってみた。第三作は「違い唐黍」である。

私は常々、「とうきび」はトウモロコシの北海道弁ではなく、おいしいほうのトウモロコシのブランドネームだと言ってきた。他県の方には申し訳ないが、最適な環境でで作られ、万全の流通で届けられる北海道産とうきびの旨さには、誰も異論はないだろう。その違いは誰でもわかる。だから「違い唐黍」というわけではないが。

家紋で「違い」というのは「交差している」という意味だ。「違い」と名付けられた家紋で有名なのは、忠臣蔵の浅野家の「違い鷹の羽」だろう。今回はその意匠を参考にさせてもらった。時代劇などでもおなじみだろうが、本当の赤穂浅野家の紋はちょっと違っていて、左に倒れているほうが手前になっていて、羽根全体に渦巻のような模様がある。今回は、重なり具合だけ浅野家風に倣ってみた。深い理由はないが。

甘くておいしいトウキビは、品種で言えば「スイートコーン」だが、世界的に最も多く栽培されているのが飼料用のデントコーンである。昔は十勝などでよく栽培されていて、うろおぼえだが、スイートコーンより草丈が高く、実も大きかったように思う。そのほかにも、赤や紫などの実がモザイク状に交じるワキシー種や、ポップコーンになる爆裂種など昔ながらの品種から、遺伝子操作で生まれたバイオ燃料用品種まで、多種多様である。

楽器家紋 「三ツ歌口」

蝦夷家紋の記事を公開したところ、楽器の家紋はどうだろうかというコメントをいただいた。その際、トランペットは家紋化しにくいとのことだったので、工夫してみたのが今回の「三ツ歌口」である。

ご覧の通りモチーフはマウスピース(歌口)である。金管楽器のマウスピースは皆こんな形なので、トランペットだけとは言えないが、某有名楽器メーカーをちょっと意識して3本を組み合わせ、楽器家紋らしさを狙ってみた。

家紋というと一家、一族ごとに厳密に決められ、公式の場で使われてきたものという印象があるが、一方昔も自分の家紋を知らない人は多かったし、他人の紋付きを借りて祝言をあげたという人もいた。厳粛なものもお気楽なものも、家紋に共通するのはどれも意匠が凝っていて、ポンと家紋が入っただけで衣服や調度が引き締まって見えるという点である。また、家紋を身につけていれば、どこのだれであるかアピールしながら歩いてるようなもので、自ずと無責任な行動はとれない。現代のようにプライバシー尊重や匿名志向が常識な社会では、己が何者であるかを積極的に公開する機会があってもよいと思う。

伝統的なものだけでなく、身につけた人間の生まれ育った風土や専門分野、趣味をモチーフにした家紋、時代性を盛り込んだ家紋があったら楽しい。それが家紋という日本独自の文化の拡大発展につながるようなら、なお面白いと思う。

蝦夷家紋「活雲丹」

日本の家紋には動植物から自然現象、家財道具まで様々なモチーフがあるが、北海道にちなんだものはない。開拓使設置から150年以上経つのだから、北海道にちなんだ家紋があってもいいと思う。そこで将来、伝統的な家紋に紛れ込んでくれることを期待して、蝦夷家紋を作ってみた。第三作は「活雲丹」である。

毛の生えた梅鉢紋に見えるかもしれないが、生きたウニを割って食べたことのある人なら合点が行くと思う。真ん中の五角形の部分は「アリストテレスの提灯」とも呼ばれる「口器」で、それを卵巣がとりまく。外殻を短い針が覆い尽くす形は、北海道を代表する海の味覚「エゾバフンウニ」を割った様子である。加賀藩前田家所縁の方々には少々ご不快かもしれないが、既にある図案にちょっと手を加えた家紋も数多くあるので、ご容赦願いたい。

余談だが、道内には「前田」という土地が何箇所かある。いずれも明治時代に加賀藩からの入植者が開拓した土地だ。未開の森林や原野を切り開き、農業、漁業、林業などの生産が軌道に乗るまでには、莫大な費用がかかる。目の前に森があっても、その日寝泊まりする家屋の木材は運び込まなければならず、藁縄1本、ゴザ1枚、自前で調達できるようになるまでには、土地を開墾し、米が収穫されるまで数年かかる。その間の衣食住はすべて本国から輸送し続けなければならない。それができたのは、明治政府直営の屯田兵か、加賀藩などの大藩の開拓団である。

加賀藩などは幕末の鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争まで、官軍側で戦い幕府軍に勝利したものの、明治政府からの褒賞はなく、代わりに蝦夷地開拓の権利を与えられた。蝦夷地開拓は、費やした戦費を回収するための、藩の命運をかけた大事業であった。そのため、莫大な費用と選り抜きの人材が投入された。例えば現在の共和町前田地区の開拓団は、加賀藩の家老に率いられて来たという。その苦労話を、共和町に住む家老の子孫の方からお聞きしたことがある。
加賀藩士が切り拓いた土地は、現在道内有数の農業地域となり、「らいでん」のブランド名を冠した米、スイカ、メロンなどで知られている。積丹に近いため、もちろんウニもうまい。