グラン・トリノ

2009年公開のアメリカ映画。主演、監督、製作、音楽、クリント・イーストウッド。

イーストウッド監督作品の中でも評価の高い作品だけに、心身ともに万全のコンディションで見始めたが、期待は裏切られなかった。例によって大物スターは自分だけ、大掛かりなセットも特撮もなしの 
今では日本車がはびこるデトロイト市の郊外に一人住まいするコワルスキーは、朝鮮戦争から帰国後にフォードの組み立て工をしていたという、古いアメリカ人。人種、性別、異世代への差別意識や偏見に凝り固まり、家族とも疎遠になってしまった偏屈な老人だが、隣に越してきた東南アジアの少数民族の大家族との交流から物語は動き出す。

例によって小さなエピソードを違和感なく積み重ね、観客を心あたたまる時間から、不吉なクライマックスへと引っ張ってゆく。

公開時ですでにイーストウッドも高齢だっただけに、老人の描き方に身につまされたり、考えさせられることも多い。自分も最近は年取ったと感じることが多かったが、まだまだ歳の取り方が足りなかったようだ。70歳をたっぷり超えたら、もう一度観てみよう。

グランド・ブダペスト・ホテル

2014年公開の、米独合作コメディ映画。豪華ホテルの内装はもちろん、従業員居室から刑務所まで、どの場面もすべて絵になっている。良質のイメージ広告を見ているようで、思わず画面にキャッチコピーをつけたくなったほどだ。アカデミーやゴールデングローブ賞の映像や美術関係の賞をいくつも受賞しており、ビジュアルブックも刊行されたが、細部まで作り込まれた画面を鑑賞するのが楽しいのだが、その分あまり語ることはない。ストーリーなどは覚えてないくらいだが、もしかしたら、合わない人には合わないかもしれない。U-NEXTやアマゾンプライムビデオでは、配信しているらしい。

「それが私の願いです」

映画スターウォーズシリーズ第4作、ファントム・メナス」から、主人公アナキンのセリフ。1.2.3作で銀河系を恐怖で支配していたダース・ベイダー卿。その彼がまだただのアナキン・スカイウォーカー少年だった時代のエピソードである。母一人子一人で、廃品回収などをしながら健気に賢く生きるアナキン少年が、いつ巨悪の片鱗を見せるのか、ファンはその一挙手一投足から目が話せない作品だ。

ジェダイマスターのクワイ・ガン・ジンは、アナキンの中に眠る素質に気づき、ジェダイ騎士になる意思があるかどうか確かめる。幼い身で母のもとを去り、会ったばかりの人間に連れられて見知らぬ星に行く。
「修行はきびしいぞ」
そう言ったクワイ・ガン・ジンへの、アナキンの返事がこれである。

「はい」でも、「がんばります」でもない、厳しい修行こそが自分の願いだといえる、強い意思。人生の岐路に立ったときに、これほど堂々と我が道を選ぶことができる人間は多くないだろう。なしくずしの決断や言い訳に明け暮れて、またそれを悪いこととも思わずに暮らしていた自分だが、このセリフの前では流石に己を恥じたものである。

結局この作品では、アナキンが悪の道に走る兆候は一切見られない。が、方向性は違うが、後に銀河系を支配することになる男の、器の大きさや風格といったものがこの一言に表れているように思う。ネット上のスター・ウォーズ名言ランキングなどに全く登場しないのは謎だが、このセリフのおかげで私にとってシリーズ中一番好きな作品になっている。