最近知った意外な事実

湿った空気は。乾燥した空気より軽い
これはなんとなく逆だと思っていたが、水(水蒸気)は窒素などより軽いので、水蒸気を多く含む空気は軽いらしい。

札幌市と伊達市はお隣同士
これは平成の大合併で大滝村が伊達市と合併し、伊達市の飛び地になったから。伊達市といえば内浦湾に面した街なので、いくらなんでもお隣はないだろうと思ったが、地図で確認すると、かなり離れた位置に大きな飛び地があり、その東端の無意根山の尾根で札幌市と隣接している。

ファスナーの金具を務歯という
読み方は「むし」。変換でも出てこない。変換ミスだろうと思ったが固有名詞だった。ちなみに自分はよく「脳を鍛える誤変換あてゲーム」をやる。ネット上の記事などで誤変換を見つけたら本来の単語を考えてみるのだ。最近は誤変換がかなり増えているようなので、出題には困らない。

コロンブスの時代でも、地球は球体だというのが常識だった
コロンブスが地球が球体か平面か論争したというのは、19世紀に発表された伝記の中の創作。地球が球体であることはギリシャ時代の学者によって証明されており、当時の知識人には常識だった。反対された理由は、下記の図のように地球は大きな水球に浮いているので、陸から離れれば水ばかりの世界になり、補給が追いつかないからというもの。

この説はなかなかおもしろい。当時の船乗りでも海が陸より広いことは知っていただろう。だから、地球が浮いていないとすると、水没してしまうことになる。なので陸から離れればより深い海しかない。上図のように説明されたら、反論は難しい。
「地球は土の球体で、海は浅いくぼみにできた水たまり。たまたまその水たまりの面積のほうが地表より広いだけ」などという意見は、できの悪い言い訳にしか聞こえないだろう。
コロンブスが論破できたかどうかはわからない。だが、そもそもそんな議論をするまでもなく、すでに大西洋を渡った経験のある船乗りを雇ったという意見もある。昔の人だから科学知識が乏しいので、迷信を信じていたと考えたがるのは現代人の悪い癖で、当時の人も金と命がかかっていれば、十分強かに考えたのではないかと思う。

西安の朝市

中国西安の朝市風景。私は魚市場の近くで育ったので、こういう風景は馴染み深く懐かしい。その市場は今では観光地化して、長年買い物をしたこともないが、どうやら日本中の有名な市場も同様らしい。観光資源とは自然や遺跡そのものではなく、それらのある環境で培われてきた生活文化そのものを指す。メディア生まれのキャラクターがついた、中国製のファンシーグッズが並んでるだけでは観光地とさえ言えない。
一方昔ながらの市場には実にいろいろな商品がある。同じ野菜でも品種が豊富で、売れ筋管理されたスーパーとは一味違う。そんなことを考えながらこの動画をみていると、どうも不思議な点に気がついた。

西安といえば人口1300万人、中国屈指の大都市だ。動画でも高いビルが映っているが、そんな環境でなぜこんな大規模な青空市場が残っているのだろう。我々はなんでもスーパーで買う生活になり、生活市場は淘汰されてしまった。生産から販売まで、効率的で衛生的、価格競争力もある流通システムに叶わなかったからだが、なぜ中国ではそうならなかったのか?それとも中国も基本はスーパーで、市場には昔気質の業者や客が集まっているのか。それにしては規模が大きく廃れる気配すらないが。

大都市でも大規模な露天の市場が残っている理由は、庶民の気質が関係しているという。日本人なら、大手の工場製は衛生的で安全と考えるが、中国人は自分の目に見えない場所で梱包までされてきたものを信じないのだそうだ。だから眼の前に積まれ、手にとって確かめたもの、その場で調理されたものを好むので、こういう市場が廃れないのだそうだ。

そこで昔あった中国製毒入り餃子事件を思い出した。それまでの中国製食品は、日中国交回復・友好がムードが残っていたせいか、大工場の衛生管理と大勢の人の手による手作りの良さを兼ね備えているイメージがあった。それがぶち壊しになった訳だが、単に異常者による犯行ではなく、工場の経営者に対立する一派が、対外的な不祥事を起こして営業不能に陥れてしまおうとしたものだったらしい。
競争相手の足を引っ張るために、国の威信や生命に関わる悪事も行う。大きな組織や事業者にはそういう一面があり、被害は庶民が被る。数千年の歴史でそれが身についていることも、大工場の製品を信じない理由のひとつらしい。

先日中国政府は、月餅の過剰包装を規制する法令を出した。中国政府が民間の生活に口を出す時は、過熱しすぎていることが多いそうだが、月餅も200万円もするものがやり取りされる、過剰な贈答慣習に対するものだったらしい。月餅は、中国のお中元にあたる中秋の代表的な贈答品で、これを贈らないと取引停止されたり、上司の覚えが悪くなる。なので月餅だけでなく燕の巣、フカヒレ、ナマコなどの高級食材とセットにし、さらに貴金属製の容器に入れたものまで出てきて、それが200万円にもなったようだ。

そんな状況で、月餅を食べたい庶民はどうするか。ああ、だから市場で買うのか。

1945年7月14・15日、札幌空襲

子供の頃祖父から、太平洋戦争の終戦間際、グラマンが飛来して家に数発打ち込まれたと聞かされた。地面にめり込んでいたという銃弾をもらったが、銅で包まれた銃弾は、先端が少し曲がっていて3~4センチほどの長さがあり、拳銃弾よりずっと大きかった。

私も子供だったから、グラマンが単機で飛んできて銃撃していったようなイメージを持っていたが、ChatGPTにたずねると、1945年の7月14日と15日、札幌を含む道内各都市に組織的な空襲があったという。札幌空襲は、3月に東京大空襲、同じ7月に全国各都市で同じような空襲があり、8月には広島、長崎の被爆と続く中では埋没気味かもしれないが、私にとっては祖父が戦闘機に狙われ命からがら生き残った、下手をすると自分も生まれなかったという大事件である。今頃ようやくぼんくら孫にも言わんとするところが理解できたわけである。そこでわかったことだけ、記しておく。

◆ 札幌空襲の経過
1945年7月14日(第一波)
米海軍第38任務部隊(TF38)が千島列島の東方沖に展開。
空母からF6FヘルキャットF4UコルセアSB2CヘルダイバーTBMアベンジャーなど約1,000機を発進させ、北海道各地を攻撃。
主目標は 鉄道・港湾・石炭・製鉄関連施設
札幌では
手稲の石炭関連施設や工場、鉄道貨物駅(苗穂、桑園付近)が爆撃・機銃掃射
市街地や住宅地でも散発的な機銃掃射
午後には再度飛来し、札幌駅周辺・軍需工場を狙う。

1945年7月15日(第二波)
前日に続き大規模な攻撃。
札幌市内の鉄道施設・工場が再度攻撃され、民家も巻き込まれる。
低空での機銃掃射が盛んに行われ、走行中の列車、道路の車両、市街の建物や住宅地の屋根・庭にまで弾丸が撃ち込まれた。
◆ 被害状況
札幌市では死者250人前後(当時の記録によって差あり)、負傷者多数。
焼失・損壊家屋は数千戸に及ぶ。
特に札幌駅周辺や苗穂地区(鉄道工場や操車場)での被害が大きかった。
市中心部の民家でも「屋根や畑に弾痕」「家の壁に機銃弾が突き刺さった」という証言が残っている。

◆ 米軍の狙い
北海道は 石炭供給地・軍需工場・港湾輸送の拠点であり、ソ連参戦を見越して戦略的重要性が高まっていた。
特に室蘭の製鉄所や小樽・苫小牧の港湾を叩く狙いがあり、札幌は鉄道の結節点・行政中心地として攻撃対象に。
◆ 札幌市民の記憶
B-29による焼夷弾爆撃は札幌にはなかったため、「低空で襲ってくる艦載機」が初めてで衝撃的だった。
「グラマン(米戦闘機)が畑をなぎ倒すように撃ってきた」「逃げ惑う市民に機銃掃射が浴びせられた」という証言が多い。
◆ まとめ
札幌空襲は1945年7月14・15日の2日間、米空母艦載機によって実施された。
出撃元は千島列島沖の米空母部隊(第38任務部隊)
標的は鉄道・工場・輸送インフラだが、民家や市街地も広く被害を受けた。
死者約250名、家屋数千戸が損壊し、札幌では最大の戦争被害となった。

子供時代のぼんやりした記憶が、実は大きな事件が関わっていた。ささいなことでもAIに聞いてみれば、誰でも自分の知らないドラマに出会えるかもしれない。