野生化豚の駆除(アメリカ)

人によってはショッキングな映像なので、視聴ご注意。
アメリカテキサス州の農場での、野生化した豚の駆除風景である。タイトルに猪とあるが、実際は野生化した豚らしい。これが今増えすぎて問題化している。ナイトビジョンを装着した銃を使っているが、他の動画では車で追いかけながら撃ったり、機関銃やヘリコプターを使うものもある。いかにもアメリカである。

残酷ではあるが、しばらく見ていると違和感を感じてくる。まず、豚の走る速さが、犬なみのスピードではないかと思う。さらに、どれか1頭が撃たれると群れが一斉に駆け出すのだが、どの豚も躊躇なくその時に向いていた方角にダッシュするのだ。人間でも、突発的なことが起こったときにすぐ動くのは難しい。とっさに走り出すという訓練を受けていないと、何が起こったか知ろうとしたり、考えてその場に居着いてしまうからだ。野生豚の群れは、銃声を聞いた途端バラバラの方向に走り出すので、狙いを定められず、ほとんどが逃げてしまう。

野生豚は、養豚場などから逃げ出したもののほか、ハンティングを目的に人為的に放したものもいるらしい。また、待ち構えて銃撃しているということは、群れが何度も荒らしに来ているということ。多少の犠牲を覚悟で何度も現れ、たっぷりの餌と経験を手に入れる。人間が待ち構えていることを承知の上というわけだ。何頭か撃ったくらいで駆除の効果があったとは思えないし、しかも子豚が死ぬと、発情期にかかわりなく交尾をするらしい。

野生豚は群れごと駆除しなければ、かえって被害が増える。そこで次の動画では、群れが大きな金網サークルに入り、中央の餌を食べている時に入口を閉じて一網打尽にする罠を仕掛ける。が、よく見るとボスと思しき体格の個体は、決してサークルに入ってこないのだ。群れを餌場に連れて行ってたっぷり食べさせることも、万一の時に自分は生き残って群れを再建するのも、ボスの戦略なのだろう。
人間が銃や機動力を使おうが、豚も畑の被害も増え続け、しかも腹を撃たれた豚は肉にできないので、処理コストがかさんでいく。銃で一方的に倒しているように見えて、実は豚の生き残り戦略に負けている。そんな皮肉な動画だ。

AI前提社会

ミスター・インターネットと呼ばれた慶応大の村井純氏は。かつて「インターネット前提社会」が訪れると言っていた。何をするにもネットが大前提な社会になるということだが、自分もその恩恵に預かりつつも、そこまで社会変革が起きるかは疑問だった。だが、現代はご存じのとおりである。
同様に、AI前提社会は訪れるか、あるいはもうそうなっているのかを考えている。AIもまた幅広い分野で活用できそうだが、真に活用できるのは、体系立って蓄積された自社データを学習させられる企業だけで、小規模経営や個人は、それほど必要でもないものを使わされることになる気もする。そのへんを見極めたくて、しょっちゅうAIをいじってる。

社会を変革させるような新たな「前提」は、これまで何度も登場してきた。そして多数の人を巻き込み、それぞれの立場や取り組みに応じて、毒にもクスリにもなってきた。大変革は慣れるしかないが、「コロナ前提社会」だけは勘弁してほしかった。

AIが蔓延する前に、免疫をつけておくのは悪くないと思う。

日本刀のはなし

日本刀といえば、美しさや切れ味などが世界的に知られているが、昔は、そういうのとはちょっと違う、リアルな使い方などの知識が伝わっていた。例えば、今はあまり見かけないが、昔の映画では、チャンバラの後、懐紙で刀身を拭うシーンが必ずあった。やりすぎて紙吹雪のように撒き散らすものもあったくらいだが、もし拭かずに血脂のついたまま鞘に入れたら刀が台無しだ。鞘の内側が汚れれば刀を戻せなくなるし、外の漆や蒔絵などを削り落として分解掃除もできないので、最悪鞘の作り直しである。

映画ではさっと拭いて納刀するが、実際にはゴシゴシこすり落としただろう。できれば抜き身のままで家まで持ち帰って、丹念に磨いたかもしれない。なので主人公が襲われた時、刀を抜かずに棒切で対処したり峰打ちにしたのも、雑魚あいてに面倒な刀の後始末をしたくなかったからとも考えられる。自分ならそうするだろう。

刃がついてるから鞘が必要なら、刃のないものを鞘なしで帯に挿して持ち歩けばいいというのが「十手」だ。十手は町奉行所が誕生するずっと前からある普通の武器。江戸時代は古物商で普通に刀が売られていて町人でも誰でも買えたし、町道場にも武士以外の門弟が大勢いた。なので犯罪も身分を問わず刀を振り回す者が多かった。同心や与力が、それらを相手にするのに刀より便利だから使っていたもので、身分証ではない。町方は派手な黄八丈の着物を着ているので、十手を見せなくても誰にでもわかったはずだ。鬼平こと長谷川平蔵の十手はカギ部分がなく、丸い小さな鍔がついていたらしい。こうなると刃と鞘のない刀そのものだ。

日本刀はけっこう曲がったらしいが、そういうときは柄頭を紐で結いて、天井から吊るしておくのだと聞いた。また表面がきれいに磨かれていると、刃の先端が正確に当たらないとそれてしまう。ナイフや彫刻刀の怪我で、力が入っていた割に表面の皮が削がれただけだったとか、ノコギリはざっくり食い込むので傷がひどかったという経験があるかもしれないが、それと同じだ。なので合戦前には、砂の山を作って何度も刀を差し入れ、刃をノコギリ状にし、側面にもヤスリのような細かい傷をつけて食い込みやすくした。これを「ねた刃をつける」と言った。
日本刀は芯材の硬い鋼の周りを柔らかい鉄でくるんであるから、強さと切れ味を兼ね備えていると言われるが、柔らかい鉄だけで作ると切れ味だけは抜群になる。村上水軍の刀は、芯材を入れずに分厚くして強度を増し、船上で振り回しやすいよう短めに作られていたという。それも水軍の本拠地で量産していたようだ。歴史は、奉納刀として作られ今に伝えられるような銘刀ではなく、実戦の知恵が盛り込まれた雑駁な刀によって作られたのかもしれない。