札幌35℃

本州のことを思えば暑さを語る資格はないのかもしれないが、とんでもない一日だった。30度を超えるころから、1度の差がはっきり体感できるようになり、じわじわと上がっていくアメダスの記録を見ながら、どうなることかと思った。氷点下では1度程度の違いは体感できないので、恐ろしくも不思議な体験だった。
近年は他の道内各地も同様に猛暑になる。唯一釧路市だけは北海道らしい爽やかな夏なので、知り合いの歯医者さんには本州から避暑兼治療の患者さんが来るようになったと言っていたのだが、それも昨日は30度になったらしい。ついに全滅である。

海外のサイトでは「ホッカイドウじゃなくてホットカイドウ(Hotkaido)だ」というコメントがあった。うまいことを言われてしまった。

札幌、33℃

怖いもの見たさでアメダス画像を見ると、一片の雲も見当たらない。雨雲が後書きされる仕様かと思い、ちょっと待ち、範囲を広げてみても同じ。さらに広域にしたら、やっと太平洋上にうっすらと雲が現れた。
これはヤバい。台風でさえ地図上ではゆっくりとしか動かないのだから、気象予報士じゃなくても同じような日が続くのはわかる。充電中の携帯の温度を確かめたり、うちわで自分とPCを交互にあおいだりと、緩慢なパニック状態である。

「一点の曇りもない」というのは、清々しく、心に憂いのない状態の意味だったんだがなあ。

ヒューマン・シグナリング

企業の電話相談窓口などで、「AIではなく、人間を出せ」と言われるようになったという。人間の場合にも言われるようで、わざと咳払いやクスクス笑いなどを入れてさりげなく人間であることを伝えるテクニックも生まれたそうだ。

咳払いやクスクス笑い、「うーん」「ええと」など、人間ならではの無意味な声のことをヒューマン・シグナリングというが、おそらく近いうちにこれのできるAIが登場すると思う。いろいろなクセのあるAIキャラクターが生まれて、販売されるようになるかもしれない。「含み笑いの山田」「しゃっくり小林」「フームの伊藤」「喘息の吉田」というように...。

CGで人物を作る際も同じような工夫がある。人間の顔は左右対称のようだが、どんなに整った顔の人でも目の大きさや位置が違ったり、口が曲がっていたりする。それを完璧にしてしまうと、見る側が美しさより非人間性を感じてしまう。逆にしわやシミのある老人の顔などは、手間は大変だが、仕上がりのリアリティがぐっと高くなる。欠点やコンプレックスと思ってるものも、他人からは個性と見られる。格好良くいうとそういうことが、人は他人のあら捜しばっかりしているとも言える。