本年もよろしくお願いします。
「犬も歩けば棒に当たる」いろはカルタの一番初めの札、戌年のお正月にふさわしい話題だが、改めて考えると正確な意味がよくわかってなかった。最初に知ったのは子どもの頃なので、犬がフラフラと歩いて自分から棒に当たってしまう場面を想像し、そのまんまに覚えてきたように思う。意味不明だが、なにしろ子どもだったので。
正確な意味は、フラフラ出歩くと、誰かに棒で殴られる。出しゃばると痛い目に会うぞという意味だそうだが、「当たる」という語感が良いので、近年は犬でも動き回っていれば良いことに出くわす、というプラスの意味で使われることが多いそうだ。最初は悪いことでも、時が経つうちに、いつの間にか良いことに変わってることもあるということだ。
昔話の美談と言えば、実際には大きな桃などあり得ないし、中に子供など居るはずもなく、包丁で切ったりすれば、殺人にも成り兼ねず危険極まりない。お爺さんも本当に山へ芝刈りに行っていたのか?も疑問。一方、竹の中に姫など入っていれば息苦しくて大変。天に帰るなどUFOでもない限りムリ。亀を助けたのではなく、漂着した韓国の漁師を助けたのかも。ところで一寸法師ってどうして現れたか覚えていませんが、すべて極端すぎる設定でも昔の子は説得できたのです。今では「どうしてて?」「どうして?」と質問攻めに遭って大変な事になりそうですから、親たちは昔話をしません。流れて来た大き目の桃をおばあさんが切って食べたら年甲斐も無く発情して子供ができ、竹林の捨て子をおじいさんが拾って、助けた漁師を送り届けるつもりが、韓国に到着した太郎にお礼に妓生遊びを教えられ、精も懇も尽き果ててお爺さんになったのではないか?。とあくまで推測ですが、果てしなく楽しいですね。
言われてみて、そういえば一寸法師はどこから来たんだろうと、虚をつかれました。ちょっと調べたら、摂津国の老夫婦がいつまでも子どもができないので、住吉の明神様にお願いしたら、さずかったことは授かったが小さな子どもだった、ということでした。桃や竹に比べてインパクトがないので、忘れていたのかもしれません。昔話で老夫婦が出てきますが、昔のことですから30代やギリギリ40代だったのかもしれませんね。
自分は小学生の時の学芸会では、いつも主役をやっていました。いいお爺さんの役も数回やっていますので、その影響なのか?今も、家では、いいおじいちゃんを演じています。でも一旦外に出ると、とんでもない爺さんに変身します。なにせ歳さえも忘れていますからね。自覚が無いのを自分でも分かっていませんから?枯れ木にも花を咲かせる勢いです。
昔話にはよく、良いおじいさん、おばあさんと、悪いジジババが出てきますね。それに比べて、正直な若者や心のきれいな娘は出て来るけれど、悪い若者はあまり出てこない。昔も迷惑な年寄りが多くて、真っ当に言ってもわからないので、教訓話にしたんでしょうか。やはり良いおじいさんのフリだけでもしなければなりませんね。悪だくみは、顔を合わせた時に、ということで…。
ここ掘れわんわん!金塊を掘り当てる犬な、ぜひ飼いたいですね。その前に、犬の見分け方を教わらなければいけないですね。
ここ掘れワンワンだと、まず「正直なおじいさん」にならなくてはいけませんね。私だったら、そりゃもう、掘ったら....お化けが出てきたら動画をアップして、アフィリエイトで稼いでやる!