今回のタイトルは椅子である。椅子というと、組織の役職や地位が思い浮かぶ。年齢のせいか、近年は知人の中にも組織のトップなどの地位に就く人が出てきた。いずれも長年その組織に尽くし手腕が認められ、いかにも良い人選だと思う人ばかりだが、同時に中年期に大きな病気をした人が多い。経済が停滞し始めた頃に働き盛りを迎えた世代だけに、無理に無理を重ねた上、高齢になってさらなる重責を担うことになるのだから、現代社会は厳しいものだと思う。

さて、CGは同じものを複製して整列させるというような作業が得意だ。ただし、そうしてできた画像には妙な違和感を感じることがある。例えば椅子を並べる場合、現実の世界ではどれほど精密に並べたつもりどこかずれたり曲がったりするが、それがないCG画面は、人の目には現実味がなく映ってしまうのかもしれない。
そこでなにかが整列している場面では、ごくわずかだけ前後左右にずらしたり、回転させたりすると落ち着いて見えるようになる。逆に無造作に放り出してあるという場面では、妙に作為的だったり整列された場所があるように見える。そこでこれまたひとつずつ微妙にずらしたり、回転させたり、いろいろ手をかけて無作為な感じを演出する。無作為にみせるために作為を尽くすのである。

人手の作業では知らず知らずの内にアートに成っていたり不規則さが馴染んだりするのが不思議ですね。我々は規則的過ぎる物には抵抗感があるのでしょうか。自分自身の目の前のデスクを見ても乱雑で作業して居ますから、綺麗に片づけると、かえって作業がやりづらいと言う事もありますね。と言う事は、或る程度のランダムが居心地がいいと言う結論でしょうか。何事も『遊び』が大切と言う事かもしれませんね。それにしても大変な作業をいろいろされていて感心しています。
商品の置き撮りに似てますね。物の配置だけでなく、ちょっとした照明の当てかげんで不安定に見えたりします。もっとアップにする時は、木目のボツボツや表面の傷、汚れや擦り切れ、塗装の厚みのムラなどまで作ってやるといかにもリアルになります。CG作家は汚れた壁や錆びついた機械の表面が大好きで、そういう写真を手に入れてまっ平らな平面に貼り付け、リアリティを出します。アフリカの音楽家は「自然界にきれいな音はない」と言い、空き缶でもポリタンでもなんでも叩いて音楽にしますが、どこか乱れていたほうがリアルだということでしょう。