ドイツの飛行船、ツェッペリン号の写真からモデリングしてみた。周囲の複葉機はペーパークラフトのデータをそのまま造形したものである。
ツェッペリンというのは、飛行船を製造したドイツの会社の名前で、第一次世界大戦前から戦後まで、100隻以上を製造している。いちばん有名なものは日本にも訪問したことのあるグラーフ・ツェッペリン127号。よく、爆発炎上した飛行船「ヒンデンブルク」と混同されるが、ロックグループのレッド・ツェッペリンのアルバムジャケットに、ヒンデンブルクの炎上写真が使われていたせいだろう。飛行船はどれも同じようなものなので、区別がつかなくても無理はない。CGでのモデリングも簡単だ。他の場合なら、造形物を形作るポリゴンをなめらかに見せるには工夫が少々必要だが、飛行船の場合は船体の鉄骨の跡のように見える。
ちなみに爆発したほうのヒンデンブルクだが、水素への引火が原因というのは正確ではないらしい。当時もヘリウムはあったが非常に高価だったので、降下の際に空中に放出してしまうわけには行かず、プロペラで下降しなければならなかった。またヘリウムの生産国がアメリカだったので、第二次大戦前のドイツには売ってもらえなかった。このためヒンデンブルクは、確かに水素を使用していたが、発火の原因は牽引ロープが地面に接した際に飛行中に溜まっていた静電気がスパークし、船体表面の塗料に含まれたアルミニウムに引火したためだそうだ。もちろん途中で水素も爆発しただろうが、記録動画を見ると船体表面が皮を剥くように尾部から燃えて行ってるのがわかる。
ビジュアルが素晴らしいですね。今の時代を遡って、のんびりした昔に戻ったような、ホッとする風景の再現ですね。現代ではノスタルジーなインテリアも人気があって未だ都会に染まらない田舎の風景や民家が、むしろ外国の観光客に喜ばれているのですから、日本人が忘れかけている古き良き日本文化を外国人が再発見するとは?皮肉なものです。
年をとって良かった点は、こういう光景がなんとなく頭に浮かぶことです。きっと昔見た映画や写真でしょうけど、程よく記憶がごっちゃになっているので、オリジナルです。若い頃ならビジュアル・ネタ探しに洋書を買い集めたり、データバンクと契約したりと、けっこう苦労しました。「飛行船の周囲を飛び回る複葉機」というアイデアですが、飛行船は大型ジェット旅客機などよりもずっと大きく、逆に複葉機はかなり小さいので、実際は「飛行船のはるか手前で、なんとなく飛び回る複葉機」の絵です。ニアミスにもなってないでしょうね。
飛行船と言えば、BMWの全国キャンペーンで石狩新港に飛来して来たドイツ製の飛行船に乗せて貰いました。同乗の新聞記者は何故か?終始怯えていましたが、実に快適でした。第一に小さなプロペラの音意外に飛行機の様な爆音はありませんから、むしろ下界と言っても低空ですからグランドで手を振る子供たちの姿や声さえも聞こえましたし、救急車の音など煩いくらいです。ススキノ上空までの折り返しで石狩新港の広い空き地に待機のマスト車(係留ポールの有るトラック)に戻りました。飛行時間は30分程でした。飛行船は地上でしか見た事が無かったので素晴らしい経験でした。10名ほどしか座席は無く、コクピットはまるで双発ジェット並みの感じでパイロットと副操縦士も居ました。機体に穴が開いても急降下はしないらしいです。でも弱点は、係留中に朝露が機体に付着する為、乾くまで、早朝一番では飛行出来ない所でした。その日の朝も苫小牧から直ぐ到着の筈が、当日は不足部品調達に羽田からの飛行機便待ちも手伝ってお昼過ぎまで待ちました。飛行船を運行するにはサポートチームは出発前の係留チームと、ヘリウムなどのタンク車やマスト車やスタッフのマイクロバスが先回りして到着待機するチームなど双方が必要で大がかりでした。貴重な体験でした。翌日苫小牧港に帰る飛行船を今度はテレビ塔と一緒に撮影した、まるで鯉のぼりのような写真が新聞に掲載されました。ビンデンブルグ号の炎上は多用していたアルミ骨材とロープがこすれて発火したとも聞いていましたが、気体表面のアルミ紛入り塗装でしたか。
貴重な経験をしましたね。日本で飛行船に乗れたのは、広告キャンペーンなどの関係者だけで、昔も今も、お金を出しても乗る方法はないそうです。海外でもドイツの、それこそツェッペリン社の体験飛行ツアーだけらしいですよ。地上の音が聞こえるというのがリアルですね。