とぼけた顔が塀の向こうから覗いているkの絵は、第二次大戦の米軍の施設や車両などに描かれた落書き。最初に誰が描いたか、どんな意味があるのかなどは謎だが、その後の小説や映画などにもよく登場する。「Kilroy was Here(キルロイ参上)」という言葉が添えられている。敵の攻撃をしのぎながら築いた橋頭堡に描いたもの、とも言われている。が、大した意味はなかったのかもしれない。
例えばボールペン回しのように、深い意味はないが人から人になんとなく伝わっているものが好きだ。行政やメディア、企業が必死に流行らせようとする人工的なイベントやブームは、乗っかろうとすれば金がかかるし、気に入ったからといって個人が勝手にやれば、権利がどうこうという騒ぎになりそうでうっとうしい。もしかしたら昔の文化、例えば縄文式土器の模様だって、学者が言うような意味はなく、なんとなくとか、やってるのを見てかっこよかったからという理由だったのかもしれないと思う。
タイトルの題材に選んだのにも深い意味はないが、CGで作るに当たっては鉄筋の表現に凝ってみた。長い円柱に、錆びた鉄筋の写真を貼り付けただけだが、円柱を伸ばしたり曲げたりして鉄筋らしくすると、今度は貼り付けた画像が不自然にゆがんでしまう。細かく細分化された表面の1枚1枚に、画像を調整して貼りなおしてやっとそれらしくなった。
考古学など研究や学問も、今になって見ればハッキリ実証出来ないものばかりですね。それより科学は逆で電子工学や宇宙など先を見ている訳で、そのギャップはますます広がっています。
たった20年前にはようやくPCが一般に普及したばかりですが、今や当たり前になっています。姿を見せないバークレーのような作家まで現れていますが、作者不明とか詠み方知れずとか、過去にも現代にも探せば有るものですね。なんとなくどこかで出会った気がする人のような感覚ですね。その時の印象が引きつづき記憶に残っている訳ですね。この絵も、そう言えばあの長い鼻と髭のオヤジさんのイラストにどこか似て居ますね。どこかで見たような?
昔から、考古学的遺物をなんでも「宗教的な儀式に使った」と説明するのに違和感がありました。未来の考古学者は、ポケモンのフィギュアを見てもそう言うかもしれませんね。確かにキルロイは、あの鼻の長いひげおじさんに似ていますね。キルロイは作者不明ながらどこから始まったかなどの考察がされてるようですが、あのおじさんは未だに何なのかわかりません。その昔、雑誌などでよく見かけたのですが。