たまに通りがかる公園に、栃の木が植わっている。普段は気に留めないが、秋になると足元に実が落ちているので2つ3つなんとなく拾う、ということを何年も行っている。毎年のことなので、実の大きさや落ちている数で今年はどういう夏だったかがわかるようになってきた。数が少なくて実も小さい年など、餌を探して山から熊が降りてくるのではないかと心配になる。今年の猛暑は栃には良かったらしく、例年以上に大きな実が落ちていた。もうそんな季節になったか、と感慨にふけるのも毎年の恒例だ。
上品な老人の季節のエッセイのようだが、OLDBADBOYはこれだけでは終わらない。毎年のようにカモを見つけてこう言う。
「実はとちが余っていて、ただでもらってくれる人を探している」
「とちのみなんだが」
と、そこで相手が乗ってきたら
「はい、栃の実」
友達を無くすから、やめたほうがいいのだろうが...
エッ?!栃の木が街中にあるんですか?移住して半世紀にもなりますが全く知りませんでした。実は栃の木と言えば、我が故郷は福井の山奥の敦賀に抜ける街道は難所の峠道に大きな栃の木があって、その栃の実で作った『栃餅』を食べた事が有ります。子供の頃で味は覚えていませんが黄色っぽい餅でした。そこの峠には悲しい昔ばなしも伝えられていました。峠の名前は『栃の木峠』。さすがに山奥でその手前の村落の板取村には小学校の分校があって、子供達は夏場はそこから私たちの本校の有る学校へ遠路歩いて登校していました。栃餅も彼らから貰ったものです。みんなドカベンをたいらげて更に学校で餅も焼いて食べていました。茅葺屋根の家並みが文化財となって村人は全てJR沿線の代替え地に移住しました。『栃と土地』のお話でした。お後がよろしいようで。
大きな実なので、歩行者は気が付きやすいですが、案外ありますね。「栃を切るバカ、植えるバカ」という言葉があるそうです。実がつくまで20年もかかるので、植えるのもせっかく生えているのを切り倒すのも愚かだとか。縄文遺跡の周囲には意図的に植えた栃の林があって食料にしていたらしいですが、寿命が30年というような時代によくやったものだと思います。本州の集落は記録以上の歴史があるので、栃の名前のついた場所は、縄文時代からあったかもしれませんね。栃餅はアク抜きの手間が大変だそうで、私も銘菓になったものしか食べたことはありません。それを常食していたのは、豊かな暮らしとは言えないでしょうけど、貴重な文化が残っていたかもしれませんね。