見よ!これが今回、ネットを検索しまくって調べた、自作の新型魂柱立てである。不安定な魂柱を、2本の針金に据えて糸で押さえつける。糸は長く伸ばして、器具の反対端にしっかりとくくりつける。これなら多少魂柱が内部に触ろうが外れたりしない。立て終わったら糸を引き抜く。金具の各所の長さは、バイオリンのサイズや立てたい位置に合わせて針金を折り曲げてその都度作る。
旧器具を使って場所の調整をする間、つけたままにしておいてもいい。私はさらにブリッジを立て、ある程度弦を張って魂柱を押さえつけるまで器具をつけたままにして、最後の最後で糸を抜いて器具を引き出した。旧立て具とは比べ物にならない、安定した作業だった。
ただし魂柱自体の長さはやや長くしすぎたらしく、いわゆる正しい場所、ブリッジのやや後ろあたりには立てられなかった。そのあたりは、天井と床の幅が狭かったのである。だが、構わずにチューニングしてみると、なんと、決しておかしくはないのだ。問題だった第一弦の途中の音が出ない症状も解決されている。こうしてまぐれにも、古いボロバイオリンは蘇ってしまったのだ。
私は今や得意の絶頂だが、更に増長して、ここに自己流の魂柱理論を披露したいと思う。以前から魂柱は音を伝えるのではなく、ただのつっかえ棒だと思っていた。これがないと弦を締めればしめるほどブリッジが下がり、他の弦が緩んでしまう。やりすぎれば板にヒビが入ってしまうだろう。とは言えブリッジの真下におけば、振動を抑えてしまう。だから魂柱はブリッジをやや離れた位置、できれば振動の「節」に当たる位置におかなければならない。
だが、アフリカの太鼓をたたいてわかったことだが、平面の振動はかなり変わっていて、節は面の何箇所にも存在する。だから、最高、最善でなくても、大したことのないバイオリンがまあまあ鳴るような魂柱の立て場所が、あちこちにあっても不思議ではない。
こんなことを書いていいのだろうか。しかし、後からあれはやっぱり間違いでしたということになろうとも、今は言いたい放題の有頂天である。とは言え、魂柱が長すぎるのは確かだから、そのうちもう少し削って立て直してみようと思う。私の魂柱記は、まだまだ終わらないのだ!
自分で楽器を治すなど,とても勇気が要りますね。下手すれば壊してしまうリスクも十二分にあるわけですからね。それにしても楽器の価格はピンキリですが,どのあたりのモノが当たり外れなく扱えるのでしょうかね。学校の吹奏楽部で使っていた楽器などは,与えられるままに,あまり気にせずにいたのですが,今思えばどちらかと言えば,無造作で乱暴に扱っていた気がしますね。チューバやバリトンなどケースが無くて風呂敷に包んで乗り合いバスに乗って遠くに演奏に行きましたよ。さすがにヴァイオリンやクラリネットやフリューとなどはケースもありました。初めっからアンプなど使わないモノや,分解できたり,コンパクトな楽器はいいですね。
バイオリンは木工製品ですから、日本人なら演奏より修理のほうがなじみやすい、という人は多いと思います。youtubeなどに、修理動画がたくさんありますし、道具も通販で手に入ります。多少器用な人なら、思ったより簡単だと思うんじゃないでしょうか。でも、金管楽器の修理の情報はないですね。
アマゾンで入手した僕のトランペットは,相変わらず第3ピストンが愚図ります。スローなバラードも危ういくらいで練習すらままなりません。シリンダからピストンを抜いて潤滑オイルをたっぷり注すのですが,どうもシリンダとピストンの研磨の不具合ではないかと思います。特に暑い夏は金属が膨張しますから暑い車内のトランクなどに入れていることもあってか,愚図りっ放しです。今日も時間を作ってご機嫌取りをしょうかとは思いますが,まだまだ巧く吹けない口述ができたと考える方がいいのかも知れません。各段に高価ですが,バック(Bach)のトランペットならきっとうまく吹けるのではないか?と今日も夢を見ています。
高い楽器なら上手くなる。これはもう、はっきりしてますね。しかも安いので我慢してきたのですから、高いのを持ち腐れにすることもないでしょう。「買ってもいい」という理屈は、いくらでも思いつきますね。しかも近年は、もう年なんだから、早く着手しないと満喫する時間が減る、という強烈な誘惑にも襲われます。困ったものです。
僕の高校の同級生の兄貴二人とも音楽部でしたが,二人とも弦楽器だろうが,管楽器だろうが,どんな楽器でもこなし,しかも作曲・編曲も自由自在の大先輩でしたが,二人とも芸大に進学したのですが,長男が器用貧乏と言うか?変わり者で,しかも怠け者でもあったのですが,芸大卒業後,なぜかフリーのテキスタイル・デザイナーになって,カネボウや東洋紡などの商社から直に仕事をもらっていました。その先輩に同級生の弟が僕を紹介したのがきっかけで,僕もデザインへの道を選んだのでした。ところがこの大先輩は大変飽きっぽく,仕事を投げ出して,今度はヴァイオリンの製作工房に弟子入りしてしまいました。途端に生計は苦しくなったようで,或る日,お堀でポツンと魚釣りをしたりしていました。聞くと,「今夜の晩飯のオカズを釣っている」と答えました。それでも音楽からは離れられずに究極のヴァイオリンの製作に没頭していたようです。僕も大阪を離れて,その後の彼の消息は知りませんが,同級生の弟との連絡は今もとれるので,機会があれば聞きたいと思っています。ヴァイオリンはそれだけ夢中にするものなのでしょうか。