防暑マニュアル

「防暑」という言葉を思いついた。検索するとすでにあちこちで使われている言葉だった。が、昔はなかったように思えるので、AIに尋ねると確かに比較的最近の言葉で、以前は「避暑」が使われていたという。今の暑さにはもはや逃げる場所もなく、踏みとどまって防衛するしかない。でないと命に関わる。そんな時代に、必然的に生まれた言葉だろう。防衛という以上、軍事と同様一人の英雄や秘密兵器ではなく、全体のシステムが最適化されなければならない。単発の「涼しく暮らす生活の知恵」程度では追いつかないのだ。そこで自分なりの防暑マニュアルを作成中だ。

例をあげると、暑くてそうめんくらいしか食べる気にならない日でも、茹で始めると鍋の熱気に当てられそうになる。また、せっかく氷で締めても、食べてるうちにぬるくなって清涼感がなくなってしまうし、茹で汁は熱いうちに排水し、使った鍋も水道で冷やさないと部屋を温めてしまう。
さらに重要なのは食器を冷やすことだ。使い終わって洗った鉢や猪口は、食器棚ではなく冷蔵庫にしまって常時冷やしておく。素材は、長い時間冷えたままでいる厚手の陶器がよく、木や樹脂のザルセットなどは、ほとんど冷えない。何より冷え切った器を受け取ったときの指先から伝わる「ありがたさ」は、極寒日の温かい汁物にも劣らないものだ。
ちなみに、心底冷え切りたいときのために、以前「白糸くずし」というメニューを考案した。残念ながら茶碗蒸しを作る工程があるので、総合的な防暑にはならないと思うが、誰かに作ってもらうなら、最高の冷え経験をお約束できる。

わざわざマニュアル化を考えたのは、暑い日に限ってボーっとしてどんどん部屋を温めてしまったりするからである。まだまだ完成には不十分で、特にレンジや保温調理器の活用や、最近見かける乾麺を水につけておいてから茹でる時短法なども、時間などをきちんと調べてフロー化したい。もちろんそうめん以外のメニューも、さらに衣食住全般も、できるところから防暑マニュアル化したい。
ネット上にはさまざまな防暑アイデアが溢れており、空調服や男性の日傘も一般化している。おそらく10年、20年後の日本人の生活文化は、防暑に焦点をあてた今とはかなり違ったものになっていると思う。

タイトル画像の話 / サーカス!

今回のテーマはサーカス。とタイトルをつけたものの、サーカスについてあまり書くことがない。とっておきのネタはゾウに踏まれた話だが、これは以前に一度書いた。

繰り返しになるが、昭和34年、サーカスのゾウが逃げ出して民家に押し入り、寝ていた幼児の頭を踏む事件というがあったが、中学の同級生がその踏まれた本人だったという話である。語弊があるかも知れないが本人に障害などはなく、外見ではわからないが触らせてもらうと、頭の一部が少し凹んでいた。彼はその後自衛隊に入隊し、戦車に乗っていたという。我々男の子の世界では、勝ち組ヒーローである。

余談だが、イラクのサマーワに自衛隊が海外派遣された際、隊長の人選にあたって優秀な人材が大勢いた中で、「運が良い男」という理由で番匠幸一郎氏が選ばれたという。象に踏まれて生き残った彼も、運の良さでは人後に落ちない。自衛隊というのはふさわしい職業だったのだろう。

アルキメデスの大戦 / 永遠の0

ゴジラ-1.0を一緒に行った友人のお勧めで、同じく山崎貴監督作品を2作連続で観た。「アルキメデス…」は戦艦大和の建造をめぐり、時代遅れの大艦巨砲主義(*)を阻止しようとした設計者を、「永遠の…」は、生きて帰ることだけを願いつつ、神風に志願した零戦パイロットを描いた作品だ。ゴジラ-1.0を観てなかったら、そして推薦してもらわなかったら観る気にならなかったジャンルだったが、日本映画における戦争の扱い方に良い意味の変化が来ていることを感じさせる良作だった。

昭和時代、日本の戦争映画はつまらなかった。戦争の美化も、英霊の侮辱もまかりならんと各方面から責め立てられ、上っ面だけのお涙頂戴反戦作品ばかりだった。戦争は愚行であり暴力にほかならないが、古今東西、エンターテインメントや芸能と切っても切れない関係にある。神話も講談も、詩も歌も、絵画や彫刻も、戦争と恋愛がテーマになったものは、実に多い。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りも新選組の池田屋騒動も、武装テロにほかならないのだが、今では血湧き肉躍るチャンバラ活劇である。
以前、沖縄戦の生き残り日本兵の方の話を聞いたが、1㎡あたり4トンの艦砲射撃が降り注ぐ中、右へ左へと駆け回る場面は、語り手も熱がこもっていたし、はっきり言ってスリルとサスペンスに満ちていて興奮した。当事者が語る話でさえそうなのだから、当事者がいなくなった時代なら、戦争もエンターテインメントのネタにしていいと思う。

山崎監督は綿密なストーリーづくりをしているだけに、内容にふれるのは慎みたい。が、両作品に出演し、いずれもストーリーを大きく動かす役目を果たしていた田中泯という俳優が印象的だった。特に「アルキメデス…」は予算決定会議のやりとりがクライマックスなだけに、田中泯の重厚な演技がなければ、ただの低予算映画になってしまったかも知れない。しばらく日本映画を観なかったのでこんな良い俳優さんを知らなかったと、検索してみたら、もともとはチン◯にテープを巻いただけで踊るダンサーだそうで、何と私よりも年長者であった。

いろいろな考えはあるだろうが、せっかくの零戦や戦艦大和をいつまでも負の遺産にしておかず、そろそろエンターテインメント資源に活用してほしい。零戦とムスタングが空中戦したり戦艦大和がぶっ放す、痛快戦争アクションが観たいものだ。そもそもがスターウォーズを観てVFXを目指した監督だそうだから、痛快な戦闘シーンが嫌いな訳がない。でないとハリウッドに先を越されたり、大和ものの最高傑作が宇宙戦艦ということになってしまう。ゴジラ-1.0でも感じたが、山崎作品は日本の戦争映画を呪縛から解放してくれるかもしれない。

*奇しくも両作ともに空母の重要性が鍵になっていたが、実際には空母自体は防御能力が低く、動きの鈍い大きな的にすぎない。戦艦に取って代わるのではなく、従来の艦隊に航空戦力を付け加えるためのもので、むしろそばに戦艦大和がいてくれたほうが、ずっと安心だと思う。飛行甲板に穴が空いただけで戦闘機は飛び立てず、離陸した機は行き場を失って着水しなくてはならなくなるという、リスキーな兵器なのだ。また、日本が空母の重要性を理解できなかったかのように描かれていたが、歴史上、空母を実戦で運用できたのは米軍と日本軍だけである。