ブラジル

「未来世紀ブラジル(原題Brazil)」という映画がある。封切りを見逃し、そのうちレンタルビデオでも見ようと思って何度か探したが見つからず、ビデオもレーザーディスクも製造中止と知り、二度と見ることはないと諦めていた。だが先日、何と公開から33年も経って、ようやくレンタルで見ることができた。

さてその未来世紀ブラジルだが、架空の未来社会を舞台にして、冷酷で滑稽な管理社会と、組織を風刺したSFコメディ(?)だ。市民の暮らしは情報局と管理システムにより常に監視され、統制を受けている。たとえば主人公の部屋の空調が故障した。修理は政府の正式な空調修理職員に頼まなくてはならない。だが、その夜、銃を片手に非合法の空調修理職人が押し入ってきて、鮮やかに修理して見せる。正規の職員には技術がないから非合法でも自分が直さなければならないが、氏名手配されているので罠が待ってるかもしれない。だから住人を銃で脅して修理するのだ。そして無事空調は直るのだが、その後正式の職員が来て、だいなしにしてしまう。万事がそんなふうに皮肉なユーモアに満ちた、いかにもテリー・ギリアム監督らしい作品だ。
建物や乗り物、コンピュータなどはレトロなデザインで、いわゆる未来的な光景ではない。85年公開といえば今となっては相当に古臭さを感じるはずだが、最初からレトロな美術のおかげで古臭さは感じなかった。

その未来世紀ブラジルで流れるのが、Aquarela do Brasil(ブラジルの水辺)、別名「ブラジル」である。作曲はAry Barroso(1903-1964)で、映画よりずっと前からあった曲である。監督はこの曲を聞いて映画の着想を得たそうで、映画のタイトルにもなっているのだが、作品は南米ブラジルと一切関係がない。なかなかへそ曲がりな映画だが、曲はTVの海外取材番組のブラジル編などでよく流れるので、聞けばだれでも知っているのではないかと思う。

ところで、日本での著作権の権利保持期間が、作者の死後50年から70年に延長されることになる。もともとはTPPの項目としてアメリカが主張していた項目だが、アメリカがTPP不参加の中で日本が自主的に参議院で法案を通した。年内にも施行される見通しだ。そうなるとここで紹介する曲も、死後70年を過ぎたものということになり、一気に馴染みの薄いものばかりになるかもしれない。ただし、これまでパブリックドメインとして紹介済みの曲の権利が復活するということはない。

もちろん収益を伴わない上演は最初から著作権の対象外だが、問題は好きな音楽に何重にも権利をはりめぐらせ、たえず運用が強化されていくのも見ると白けるということだ。それこそ「未来世紀ブラジル」で描かれた、滑稽な管理社会を笑えない。

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ハリウッドの黒人枠

若い頃にあれほど観ていた映画や海外ドラマを、しばらく観ないできたが、最近はレンタルが借りやすくなったり、ネットで動画配信サービスがあったりで、また観るようになった。古巣に帰ったような懐かしさと、もの珍しさで大いに楽しんだが、しばらくすると違和感を感じるようになった。登場する黒人の描かれ方のせいである。

  • どの作品にも、黒人が登場する。
  • ほとんどの場合善玉で主人公の味方。
  • 知能や学歴が高く、博識、モラルが高い。
  • 主人公の上司や学者、弁護士など、社会的に高い地位にいる。

など、一作だけ観れば何の問題もないのだが、観る作品、観る作品、このパターンなのだ。一旦そういう目で観ると、別に黒人である必要のない役だったり、そこまで豪勢な人物設定をつけなくても良い役だったりする。反差別クレームを恐れてのキャスティングらしい。多分、反響の大きい人気作品ほど、黒人枠に配慮しなくてはならないのだろう。こちらもそういう厳選作品だけを選んで観るので、特に黒人枠が気になってしまう。

こういう黒人枠は、いわば免罪符的な配役だけに、”愛嬌”がないのだ。登場した瞬間に、こいつは悪の張本人じゃないと読めてしまう。そして案の定、優秀な分融通が効かず、自由な主人公に高圧的だったりするが、最後は身を挺して主人公を助け、感動的な言葉を残して死ぬ、というパターンになる。いくじがないくせに大げさに騒いで主人公の足を引っ張るとか、はした金で裏切るとか、話を面白くしてくれない。

黒人だけでなく、女性の配役にも同じような傾向を感じる。金髪でキャーキャー騒ぐだけのお色気要員など、絶対に登場しない。だいたい知的で勇気があり、男性と対等に仕事をこなすという、スペックは高いが薄っぺらな人物ばかりになった。演技と現実の区別できない人が増えたのだろうか。
マリリン・モンローは、とてつもなく知能指数が高かったから、あのお色気ムンムンの頭カラッポ女を演じられた。仕方がないのかも知れないが、はじめに「枠」ありきだと、連続猟奇殺人犯や圧倒的な暴力キャラなど、俳優としてやりがいのある役を黒人が演じられなくなってしまうような気がする。

 

シェイプ オブ ウォーター

アカデミー監督、作品、美術、音楽の4賞を獲得した、ギレルモ・デル・トロ監督作品。多くの映画ファンにトラウマを残した同監督の「パンズ・ラビリンス」でさえR12だったのが、今回はR15とあって、途中で叫んだり飛び上がったりしないよう、心に強く言い聞かせながら見に行ったが、その心配はなかった。
作品はコメディに近いタッチで描かれた、大人の童話という感じなので、うんと奇抜なものを期待していくと肩透かしかもしれない。ただし、オーソドックスなラブストーリーでありながら、ハリウッドのお約束を微妙に外しながら話が進むので、次に何が起きるかわからないワクワク感がある。その辺がメキシコ人ならではの感覚なのだろう。この監督でなければ見ることのできない映像が随所にある一方、ラ・ラ・ランドかなと思うような演出もあった。これは最近の流行りなのだろうか。エンドロールはごくシンプルな黒地に白文字が流れるだけなのだが、個人的には近年の映画でピカイチと感じた音楽が流れ続けたので、明かりがつくまでゆったりした気分で座っていられた。