ゼログラビティ

軌道上の浮遊物(スペース・デブリ)との接触事故で、機能を失ったスペースシャトルからの帰還。アカデミー賞の、映像関係賞を複数受賞。息苦しいに決まってるので、気力が充実してる時に見ようと思っていたアメリカ映画「ゼロ・グラビティ」を観た。サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニーという、エンターテインメントなキャストなので、息をつける場面もあるかと思ったのだが、容赦なかった。

CGにせよ、クレーンで吊るにせよ、無重力の表現は大変だ。それだけにさまざまな映画で無重力シーンが評価されてきたわけだが、この作品では全編無重力シーンである。1時間30分の比較的短い作品だが、全編見所と言っていいだろう。言葉で說明する意味のない、映像でなければできない、映画らしい映画だ。

事故の原因になるのは、地球軌道上を浮遊するスペース・デブリ。人工衛星のかけらやロケット発射時の多段ロケットの部品など、人間が宇宙に打ち上げた様々な機械やその部品だ。これらは、いつかは重力に引かれて落下して途中で燃え尽きるのだが、それまでの間、猛烈なスピードで軌道上を回り続ける。映画で事故が起こったISS(国際宇宙ステーション)は高度400キロで、90分に1回地球を回るので、そこで発生したデブリは時速27,700kmで飛んでいることになる。強力なライフル銃から発射された弾丸の10倍ほどのスピードなので、小さなボルトやビスでも、宇宙船本体や人体を軽々と貫通してしまう。そんなことで大丈夫なのかと思うが、全然大丈夫ではない。宇宙ステーションの壁は空気さえ漏れなければ特別に頑丈に作る必要はないので、いわばペラペラだ。デブリを弾き返すことなどできないのだが、宇宙は広いので、まあ、大丈夫でしょうということになっている。が、もし衝突したら、間違いなく映画のようなことが起こる。

映画では軍事秘密の漏洩を恐れた中国が、衛星を爆破したことから始まる。これはおそらく現在でも行なわれていることだろう。そうして発生するデブリだけでも十分危険だが、これらはやがてさらに恐ろしい事態を招く、と考えられている。
比較的大きなデブリ同士がぶつかると、どんどん小さな破片に分解していって、またそれが別なデブリに衝突して新たなデブリが増える。このペースが地球に落下するペースを上回れば、地球の軌道上はデブリの雲で覆われたようになり、その区間を通行する宇宙船は、猛烈なスピードの弾丸の雨の中に突っ込むことになる。つまり、人類は地球に閉じ込められてしまい、世界は気象、通信、GPSなど、あらゆる人工衛星がなかった時代に逆戻りしてしまう。
その昔工場が「廃液は海に流しているから大丈夫」と言っていたのと同じことを、宇宙で起こすわけにはいかないので、どうやら対策がはじまったようだ。日本でも、自衛隊の中にデブリ処理などを行う宇宙部隊が創設された。

ところで映画のエンドクレジットに、エド・ハリスの名前を見つけた。NASAのミッション・コントロール・センターからの声を演じていたらしい。NASAと言えばエド・ハリスだが、意外にもNASA物は「ライトスタッフ」と「アポロ13」だけだった。

ラ・ラ・ランド

セッションで話題を巻き起こした、デミアン・チャゼル監督の作品。
前作セッションでは、ジャズの世界を舞台に、誰も立ち入ることのできない緊張感あふれる師弟関係を描いて見せた。そして期待の集まる本作で見事、史上最年少のアカデミー監督賞を受賞した。

内容はいたってオーソドックスなミュージカル。恋愛映画としても、正統派だ。セッションほどの衝撃はないが、その分実力を感じさせる。よくミュージカルが嫌いな人は、唐突に歌ったり踊ったりするのがイヤだという。が、この作品では、ストーリー部分はあくまで自然に、ミュージカル部分は華やかに、というメリハリが強いが、その落差をなかなか面白いやり方で克服している。

物語前半は、あまりのロマンチックさに、これはバッドエンドしかないなと思わせるほどだが、後半になるとハッピーエンドとバッドエンド、両方の予感を漂わせながら、一風変わったエンディングに向かっていく。悪役も登場しない、大事件も起きない、起伏の乏しいストーリーとも言えるが、大げさに泣いたり叫んだりしない現代的なシーンが印象的だ。

名作には名シーンが欠かせないが、この作品の場合は何と言っても冒頭のダンスシーンだろう。高速道の渋滞した車の合間を縫って、大勢のダンサーたちがダイナミックなダンスを繰り広げる。それが、フレッド・アステアもびっくりの5分間ノーカットの長回しである。しかも前後左右、上へ下へと自在に動き回るカメラワークは、どういう具合にクレーンやレールを敷いたのか見当もつかない。カメラが振り返ったり、高く上がって全体を俯瞰で眺めても、カメラ機材がどこにもないのである。デジタル撮影ではなく、あえてフィルムを使ったと言うが、フィルム撮影した素材を、コンピュータ技術でつなぎ合わせているのではないかと思う。

インターステラー(2014アメリカ映画)

長い間、ファンタジー映画が幅をきかせ、SFらしいSF映画が少ないと感じていたが、このところ見ごたえのある作品が封切られていたようだ。前回紹介した「オデッセイ」もそうだが、「インターステラー」もSF気分をたっぷり堪能できた。

私はSFと言うと、科学が物語の根幹を成しているような作品を指し、個人的には大好きなスターウォーズも、SFには入れていない。インターステラーは、ブラックホールや相対性理論など、本格的な物理の理論を扱っているので、なかなか難しい部分がある。とは言え、家族の愛やスペクタクルな大自然の猛威、人間同士の軋轢など、映画らしい楽しさが盛りだくさんで、多くの人が楽しめる作品だ。

また、往年の名SF映画「2001年宇宙の旅」へのリスペクトが散りばめてあったのも印象的だ。地球外からの呼びかけに気がつくきっかけが重力の異常で、他の宇宙への入り口が土星にできているというのは、「2001年」そのものだ。(土星は小説版の「2001年」、映画版は木星が舞台)。さらに、「2001年」で特に印象的な石版「モノリス」とコンピュータ「HAL」を合わせたような、板状のサポートロボットが登場する。これがなかなかのもので、登場した時はあまりにムリヤリな造形に少し興ざめしたほどだったが、ストーリーが進むに連れ、スムーズな変形と多機能ぶりに、むしろ合理的な設計のように思えてきたほどだ。

人類を救うため、ワープして未知の星系へ行き、居住可能な惑星を探す。そのために数年前に。一惑星に一人ずつ先乗りさせていた観測員を救助に行く。だが、思いもよらない出来事で次々と失敗してゆく。さすが宇宙は、主人公の思惑も映画的ご都合主義も、一切気にとめないのだなあと感心したほどだ。
とはいえ物語はなんとか解決する。多分、難解な物理の理論が見事に映像化されてるのだろうなとは思うのだが、肝心の理論を知らないので、味わいきれなかった部分はある。これは不徳のいたすところだ。
物事は決して思った通りにはならないが、悪あがきしてれば、思いもよらない幸運も訪れる。そんな私の人生訓そのもののような映画である。