若い頃にあれほど観ていた映画や海外ドラマを、しばらく観ないできたが、最近はレンタルが借りやすくなったり、ネットで動画配信サービスがあったりで、また観るようになった。古巣に帰ったような懐かしさと、もの珍しさで大いに楽しんだが、しばらくすると違和感を感じるようになった。登場する黒人の描かれ方のせいである。
- どの作品にも、黒人が登場する。
- ほとんどの場合善玉で主人公の味方。
- 知能や学歴が高く、博識、モラルが高い。
- 主人公の上司や学者、弁護士など、社会的に高い地位にいる。
など、一作だけ観れば何の問題もないのだが、観る作品、観る作品、このパターンなのだ。一旦そういう目で観ると、別に黒人である必要のない役だったり、そこまで豪勢な人物設定をつけなくても良い役だったりする。反差別クレームを恐れてのキャスティングらしい。多分、反響の大きい人気作品ほど、黒人枠に配慮しなくてはならないのだろう。こちらもそういう厳選作品だけを選んで観るので、特に黒人枠が気になってしまう。
こういう黒人枠は、いわば免罪符的な配役だけに、”愛嬌”がないのだ。登場した瞬間に、こいつは悪の張本人じゃないと読めてしまう。そして案の定、優秀な分融通が効かず、自由な主人公に高圧的だったりするが、最後は身を挺して主人公を助け、感動的な言葉を残して死ぬ、というパターンになる。いくじがないくせに大げさに騒いで主人公の足を引っ張るとか、はした金で裏切るとか、話を面白くしてくれない。
黒人だけでなく、女性の配役にも同じような傾向を感じる。金髪でキャーキャー騒ぐだけのお色気要員など、絶対に登場しない。だいたい知的で勇気があり、男性と対等に仕事をこなすという、スペックは高いが薄っぺらな人物ばかりになった。演技と現実の区別できない人が増えたのだろうか。
マリリン・モンローは、とてつもなく知能指数が高かったから、あのお色気ムンムンの頭カラッポ女を演じられた。仕方がないのかも知れないが、はじめに「枠」ありきだと、連続猟奇殺人犯や圧倒的な暴力キャラなど、俳優としてやりがいのある役を黒人が演じられなくなってしまうような気がする。

