ゲーム・オブ・スローンズ(GAME OF THRONES)

最近小説や映画,ドラマが楽しめない.登場人物の名前や顔が覚えられなかったり,話の流れがつかめなかったり.なによりストーリーに食いついていく体力がない.一番問題なのは,今まで見てきた多くの映画や小説先のせいで,どれも先が読めてしまって,驚きがない.年を取ったのかなと思っていたのだが,そんな不安を吹き飛ばすアメリカのTVドラマに巡り会った.「ゲーム・オブ・スローンズ」である.(知ってる人にはいまさらな話だと思うが)


数年前から,海外のさまざまなサイトで取り上げられていたので,気にはなっていたのだが,テーマ曲がバイオリンの演奏動画になっていたり,知人からの強いお勧めもあって見ることにした.幸いネット配信サービスがあって,1カ月間無料。延長せずに解約しても可というので,いざとなったら超特急で見終えて解約するつもりで見始めたのだが.

すごいのなんの,2011年の放送開始以来6年連続でエミー賞を受賞していて,その数は史上最多の38個.脚本も特撮も,現代だからできるありったけを注ぎ込んだような作品だ.映画では納まらないのでTVシリーズにしたとも言われている.

舞台は中世ヨーロッパを思わせる架空の世界.7つの王国が,それぞれ権力闘争と他国との戦争に明け暮れているところに,全世界を破滅させる強大な敵の影が近づく,という話である.魔法やモンスターも出て来るが,ファンタジーものにありがちな,それ一発で状況がひっくり返るような安易な使われ方はしない.あくまで人間の欲望や恐怖,生き残るためのあがきが物語を進めていく.そしてとにかく残酷とエロシーンが強烈で、しかも暴力的だ.子供はもちろん,誰にでもおすすめできる作品ではないかもしれない.

だが,その壮大さと緻密さ.主要な役だけでも何十人にもなるが,一人ひとりの顔や名前はもちろん,それぞれの持つストーリーが頭に刻み込まれていく.そして,次の瞬間に何が起きるのか,全く予測がつかない.一人の心の中の葛藤から大平原での大軍同士の戦闘まで,いきいきとダイナミックに描かれ,歴史上の文豪や詩人が描きたかったのは,こういう世界なのだろうと思わせるほどだ.

また,女性の描かれ方が素晴らしく,さまざまな魅力的なキャラクターが登場する.王宮内の権力争いも結局暴力で片がつくくらいだから,女性の地位などないも同然.政略の道具にされたり娼婦になるのはマシなほうという世界で,過酷な境遇に負けず,ギリギリのところで生き残っていく.

peter

主役がいないような作品だが,最も印象的な役柄を演じたのは,この作品でエミー賞助演男優賞を2度獲得したピーター・ディンクレイジだろう.身長135センチの小人症の彼は,作品の中では,王族に生まれたから生かしておかれただけの余計者で,欲望に忠実に生きている.最後は暴力という世界で,身体的ハンデを権謀術数で補いながら,あらゆる悪徳と悪巧みに手を染める.障害者だからといって,必要以上に聖人君子に描かれるようなことはなく,それでいて魅力的な個性を持っている.はじめは卑小で屈折した人物が,陰謀家の立場は変わらないものの,徐々に将軍や王者のような風格を備えてゆく有様は,他では例を見ないほどだ.

恐怖のメロディ

1971年公開,クリント・イーストウッドが初めて監督した映画である.主演も本人.

イーストウッドと言えば,それまでマカロニ・ウェスタンやダーティ・ハリーで,無表情でぶっ放すキャラクターばかり演じていたので,当然そういうのを期待して見に行った.そしてタイトル通りの恐怖に縮み上がった.

原題は「Play Misty for me」(ミスティをかけて).ラジオのDJを務めるイーストウッドは,毎回ミスティをリクエストしてくる,熱心な中年女性ファンと出会い,一夜を共にしてしまう.女はその日を堺に,身の回りの世話を焼くなど,徐々に主人公の生活に入り込んでくる.別れ話をすると狂言自●し,さらに主人公の自由を奪って監禁し,最後は殺そうとする.主人公は監禁されてすっかり弱りながらも間一髪で女を殺す.

この時代にはストーカーという言葉も,概念すらなかった.マッチョでクールなイーストウッドが,どこにでもいそうな中年女に,精神的にも肉体的にもじりじりと追い詰められるなど,誰も考えもしない時代だった.「ストーカー」という名称を知ってるだけでも,ある程度ストーリーの予測はついたかもしれないが,当時はストーリーが進んでも,次に何が起きるのか予測が全くつかず,何が怖いのかもわからないほどの怖さに震え上がった.

好きだから相手を独占したい,監禁してでも,殺してでも.ファン心理をこじらせて闇に落ちた女の執念の前には,男女の体力差などほとんど意味がないということも知った.まさに未知の恐怖を体験し,その後しばらくはミスティを聞くと鬱な気分になった.それにしても,なぜいつも美しいメロディには,狂気や恐怖が似合うのだろう.

https://www.youtube.com/watch?v=ZQpjM8JLh9Y動画はエロール・ガーナーの名曲「Misty」歌い出しの3音だけでそれとわかるほどの名曲である

プロデューサーズ

「プロデューサーズ」はミュージカル映画の最高峰だと思う.監督のメル・ブルックスが,アメリカのエンターテインメント4大タイトル(テレビ番組のエミー賞,音楽のグラミー賞,映画のオスカー,ミュージカルのトニー賞)すべてを獲得したから,というだけではない.口に出すことがはばかられるような偏見や差別,不謹慎と言われるものを立て続けに見せ,しかも上質な,ミュージカルへの愛に満ちた作品に仕上げているからだ.

アメリカ人は男らしさを尊ぶ.海兵隊や保安官は男らしさの象徴だが,反対に会計士は男がやる仕事ではないと思われているフシがある.もちろん偏見なのだが.主人公はその会計事務所の社員で,退屈な毎日にイヤ気がさし,ブロードウェイミュージカルのプロデューサーを目指す.とは言え才能があるわけではなく,ただプロデューサーになって仕立ての良い服を着て,高級レストランでランチをとり,美女に取り囲まれていたいというだけの,善良で素朴だが最低の素人だ.
もうひとりの主人公は,売れないミュージカル・プロデューサーで,金集めのために,年老いた未亡人をたらしてまわるような男.この二人が,制作資金を集めてわざと失敗作品を作り,配当しないで投資した金を着服しようと考える.そのために選んだのが,「春の日のヒトラー」というナチ礼賛の脚本.主役のヒトラーは,これまた男らしさの正反対,ゲイの俳優だ.


ヒトラーとドイツに春の日を
さあ、優性民族がやってくるぞ
ラインラントは再び栄光を取り戻す
見よ、ヨーロッパよ
ヒトラーとドイツに春の日を
ポーランドとフランスに冬を
もし戦争を望むなら、さあ第二次大戦だ
(歌詞部分訳)

ここに書いて大丈夫かと思うような歌詞だ.よく見ると動画のタイトルも「htler」と,微妙に本名を避けている.映画の劇中ミュージカルは,学芸会に毛の生えた程度の小劇場で,美術もやっつけ仕事.ソーセージやプレッツエルなどのドイツを象徴する小物や,半裸の美女などが,出しておけばいいやとばかり雑に散りばめられている.どうせ逃げるのだから,はじめから金をかける気がないのが見え見えだ.その中でのナチ礼賛を歌い上げるのである.映画として見ている自分も,笑いながらも少々息苦しくなるような不謹慎さだ.

それがヒトラーの登場で一変する.それまで不快さに耐えてきた観客が,ヒトラーの女っぽいしぐさに大爆笑する.身についてしまったオカマっぽい仕草が,まるでヒトラーを笑い者にするための渾身の演技のように見え,観客は大喝采となる。意に反してミュージカルは大成功.詐欺の方もバレて留置所に入れられる.が,この成功のお陰で結局名プロデューサーとして,名声を得てハッピーエンドとなる.金儲け目的の悪巧みだろうと,制作者に問題があろうと,ミュージカルは面白ければいい.そんなメッセージが聞こえてきそうだ.

見どころは,昔ながらのステッキとシルクハットでのタップや,ラインダンスである.昔のミュージカルなら当然だが,この作品が最初に上映された1968年には,すでにショービジネスでのこういった芸は廃れていて,シリアスなテーマやリアルなストーリーの中に,歌や踊りを組み込んだ作品が主流となっていた.却ってそのせいで,突然歌い踊りだす違和感が増してしまったのだが.
それをこの作品では,ブロードウェイのプロデューサーの話ということで,自然にシルクハットやステッキを登場させてみせたのである.いわば歌舞伎役者が主人公の映画を作り,劇中の歌舞伎の舞台をたっぷり見せて,昔ながらの魅力を再確認させたようなものだ.

製作,脚本,作詞・作曲は,メル・ブルックス.他の作品のように,主演まではしていないが,ちょっとだけ登場するシーンがある.

次回「恐怖のメロディ」(11/8公開予定)
乞うご期待!