肩の凝らない脳のはなし

ネアンデルタール人の脳は現代人より大きかったらしい。それはそうだ。例えば彼らが、食料を得るために知恵と力を駆使して断崖絶壁を登ったのに対し、現代人はぼーっとエレベーターに乗って登る。彼らは眠っていても獣の気配がしたら、飛び起きて槍を構えるが、現代人は目覚ましが鳴っても起きない。どちらが頭を使って生きていたか、比べるまでもない。

現代人は歴史や社会の構造にあてはめ、思考を担う脳が優先的で、運動を担う部分はその従属物のように考えがちだが、脳はそもそも全身の運動を制御するためのもの。その運動から遠ざかれば、脳が縮小して当然だ。しかも脳の縮小は、昔の人と現代人を比べても起こってると言われるし、さらに情けないことに加齢でも起こる。

ということは、だ。私は人類史上屈指の、脳が縮小した人間ということになる。
か、肩が凝らなくていい塩梅だぜ…(泣)

シンプル イズ ベスト

その昔、工業デザインや広告デザインの分野で、しきりにシンプル・イズ・ベストということが言われた時代があった。過剰な装飾や凝った意匠は前時代的であり田舎臭く垢抜けていない。それに対して機能性だけから生まれたデザインは、理知的で都会的である、とされた。それ自体バウハウスなどの考え方を受け継ぐ根拠のある考え方で、形状もカラーも一切の装飾性を削り取ったアップル社製品などが、その真骨頂である。

だがシンプル・イズ・ベストは、多分に企業側の都合によるものでもある。原価や製造時間が圧縮でき、バリエーションも少なくて済む。原材料、部品、製造技術の使い回しもしやすい。また、消費者に本来のシンプルさの価値が理解されているわけでもないようで、やたらと凝ったデスクトップ画像を設置したり、操作の邪魔になるほどストラップをぶら下げ、しまいに動物の耳のついたケースでくるんでしまう。要は多くの人にとってシンプルなことが面白いわけではなく、装飾があったほうが楽しいのである。

そのせいか近年グラフィックやパッケージのデザインで、日本的の伝統的な装飾を盛り込んだ作品が増えてきたように思う。世界的に見ても、各国の伝統的な装飾を現代感覚で蘇らせた作品が注目されている。さしずめ長年の「シンプル・イズ・ベスト」の呪縛から解き放たれたかのようだ。
最近は知的財産の取り扱いには注意を要する。企業ロゴなどはシンプルさを追求すれば、どうしても似てしまうだろうし、AIが加われば今後さらに類似品が氾濫することになるだろう。そんな中で、手間とスキルとアイデアを盛り込んで他と差別化できる装飾性の高いデザインが注目されるのは、無理がないかもしれない。

当社が誇る「ザ・シンプル」シリーズ。ストールからゴミ箱、サイコロ、角砂糖まで、暮らしに欠かせないあらゆるアイテムに極限までのシンプルさを追求しました。

栃のみ...

たまに通りがかる公園に、栃の木が植わっている。普段は気に留めないが、秋になると足元に実が落ちているので2つ3つなんとなく拾う、ということを何年も行っている。毎年のことなので、実の大きさや落ちている数で今年はどういう夏だったかがわかるようになってきた。数が少なくて実も小さい年など、餌を探して山から熊が降りてくるのではないかと心配になる。今年の猛暑は栃には良かったらしく、例年以上に大きな実が落ちていた。もうそんな季節になったか、と感慨にふけるのも毎年の恒例だ。

上品な老人の季節のエッセイのようだが、OLDBADBOYはこれだけでは終わらない。毎年のようにカモを見つけてこう言う。

「実はとちが余っていて、ただでもらってくれる人を探している」
「とちのみなんだが」
と、そこで相手が乗ってきたら
「はい、栃の実」

友達を無くすから、やめたほうがいいのだろうが...