画像生成AIの時代へ

モチーフや画調などに関した単語を入力するだけで、人工知能が自動的に画像を作ってくれる「画像生成AI」が話題を呼んでいる。特に今年の夏ころからは検索数も激増している。

イメージに合った画像が簡単に手に入るのは、広告制作などでは大きな魅力だ。個人のブログやSNSでも、ネットから持ってきたものはもちろんだが、自分で撮影した風景画像でさえ、肖像権がからんだり商標が写り込んだりするので、思わぬトラブルを引き起こしかねない。使用者も何が何でも権利のはっきりした画像が使いたいのではなく、「そういうイメージのもの」がほしいということのほうが多いから、AIの作った仮想の画像でも十分役に立つ。
画像生成AIの作った画像が著作権的にどういう位置づけかは、現在まだはっきりしてはいないらしいが、少なくとも従来型の問題はクリアできそうだし、制作者の選択の幅が広くなるのは間違いないだろう。

画像生成AIは、Midjourneyが本格的な機能で話題を呼んだが、すぐに無償(オープンソース)のstable diffusionが登場して、ユーザーや作品が激増するとともに、Photoshopやblenderのプラグイン版も登場するなど、早くもこのジャンルのスタンダード化しつつある。
stable diffusionを使用するには、PCにNVIDIA製GPUをのせたグラフィックボードが必要だが、ない場合はgoogleの提供するColaboratoryを利用すれば、使用可能になる。ちなみにColaboratoryも無償だが、有償版でも月額1千円程度だ。

AIの作った画像は、まだまだ歪んでいたり意味不明な箇所があったり、どことなく不気味な感じもするのだが、決してあなどることはできないだろう。権利関係の締め付けから自由になれるなら、AIを使って最善の作品を追求する制作者も出てくるだろうし、AI作品が増えれば見る側も慣れてくる。たとえは悪いかもしれないが、某いら○○やの少々子供っぽいイラストが、公的でシリアスなお知らせに使われていても、不自然に思わなくなっているのと同じようなものだ。

10月9日はレイフ・エリクソン・デー

レイフ・エリクソンは11世紀のアイスランドのヴァイキング。クリストファー・コロンブスの「新大陸発見」の500年以上前、ヨーロッパ大陸から海を渡って、はじめてアメリカ大陸に上陸した人物である。このことはヴァイキングの英雄譚ヴィンランド・サガに記されているほか、カナダからは当時のヴァイキング集落の遺跡も発見されていることから、現在では史実とされている。
ヴァイキングといえば侵略と略奪に明け暮れる荒々しい海賊のイメージだが、そういう面もあったとはいうものの、実態は「海洋交易商人」だったらしい。そういう挑戦的な商人が、ヴィンランド(ワインの豊かな土地)を目指したのである。

エリクソンとコロンブスは、500年もの時代の違いもあり、その業績を単純に比較できない。特に到着した土地がどれほど大きな大陸だったのかについては、当人にも把握できなかっただろう。むしろ新航路の発見に意味があったはずだ。その点、平面の地図ではわかりにくい実際の距離関係がつかみやすいGoogleのマップで見ると航海の概要が見えてくる。例えば、エリクソンはアイスランドで生まれ、グリーンランドに教会を建てるなど、航海以前にすでにヨーロッパよりカナダに近い地域を行き来している。上陸したとされるカナダ北部のラブラドル半島は、それほど無理なく到着できる場所のように見える。それに比べればコロンブスの場合は、スペインからフロリダ半島の南端まで、大西洋の一番距離のある場所同士を突っ切ったような航海だ。一番乗りとは言えないだけで、大型航路の最初の開拓者であることに変わりはない。

コロンブスがアメリカ大陸の発見者とは言えないことは、1874年にアメリカのラスムス・B・アンダーソンによって発表され、1964年には、アメリカ議会でもレイフ・エリクソン・デーが制定された。とはいえ、レイフ・エリクソンデーは、コロンブス・デーほど認知されていないようで、画像検索しても記念セレモニーや行事の様子ではなく、ノルウェーなどにあるエリクソン像がほとんどである。ちなみに銅像は柄の長い戦斧を持ってはいるが、ヴァイキングの象徴ともいえる角の生えた兜や丸い木の盾は身につけていない。あれはもっと時代が降ったころのヴァイキングの末裔の中の、ごく一部の種族の姿らしい。

コロナ終息?

コロナが終息しそうだ。まん延の初期に、志村けん氏を亡くしたことが今さらながら惜しまれる。その後のワクチン接種や治療体制の充実、ウィルスの弱毒化を思えば、あの一時期さえしのいでいたら、多少放埒な生活をしていても事なきを得たのではないかと思う。

さて志村けん氏の持ちネタにバカ殿がある。顔を白塗りにしちょんまげがトレードマークだが、戦国時代の今川義元などは実際に貴族風に顔を白塗りにしていたという。信長に負けたので軟弱の象徴のように言われるが、坂東荒武者の頭領だけにそうとう武張った人物で、進取の気風があったのだと思う。一方の信長は完全な都会っ子で、武芸が達者だったという話も聞かない。いわば音楽を愛するジャ○アンを、の○太君が卑怯な未来道具で返り討ちにしたのが、田楽狭間の戦いである。(?)

なお、あの独特のちょんまげは「茶筅髷(ちゃせんまげ)」という。五月人形のような典型的な形の兜には、真上に穴が空いている。武士は頭の天辺を剃り上げて兜のクッションに密着させ、さらに残った髪の毛を束ねて兜の穴から出すことで兜を安定させた。普段この髪の毛の束を油で固めて頭の上に載せていたのがふつうのちょんまげだが、茶筅髷はそのままで兜を被り、髪を穴から突き出すことができた。つまりいつでも兜を被る用意はできている、という戦国の気取りを残した髪型で、江戸時代になっても、議論より刀で決着をつけようではござらんかというような侍に好まれた。そのため。太平の世にふさわしからずと、何度か禁止令が出ていたらしい。

さて、コロナ以前の世界には戻れないという言葉を聞いたことがある。コロナ初期は世界中が震え上がっていたとはいうものの、現在の世界情勢に比べれば、まだまだ太平の世だったような気がする。