趣味の蘭亭序復元作業

中国の魏晋南北朝時代の王羲之(おうぎし)は、書の国中国で書聖と称された人物で、「蘭亭序(らんていじょ)」はその代表作。書道の至宝であるが、その実物は上の画像の通り、無数の印が押されている。これは代々の所有者が自分のものであることを示すために押したものだという。蘭亭序はその印影も含めて鑑賞すべきものらしいが、書道に明るくない自分からすれば冒涜のように思えてならなかった。織田信長の正倉院の蘭奢待の切り取りと変わらない蛮行のように感じていた。

そこで、画像処理ソフトを使って印影を消してみることにした。やり方は印影や文字のない部分の細片をコピーして印影の上に貼っていき、境目の気になるところをブラシで修正していく。原寸では赤と黒がはっきり区別できるが、拡大すると墨と朱が混在していて、どこまで消していいか判断に迷う。1ドット違っても筆跡が変わりそうで緊張するが、古美術品の修復作業にも似た醍醐味もある。気が向いた時に取り出してちょっと手を入れるだけなので、始めて何年にもなるのに先はまだまだ遠い。

多様性の科学

今はややおさまったようだが、一時期アメリカで映画やテレビゲーム、広告などの表現上のポリコレがやかましかった。明らかに白人が主人公だった名作の続編がラテン系やアフリカ系になり、日本から輸出された作品も、登場人物の人種バランスに手を入れられた 主にアメリカ人だろうが、なぜそこまでポリコレに固執するのか、少々気になっていたので、このジャンルで評価の高い「多様性の科学」を読んでみた。

本書では、組織の多様性の欠如の例として、10.21同時多発テロを予見できなかったCIAをあげている。事件の前、ビンラディン自身が洞窟で焚き火の前にいる動画を公開した。この構図には、イスラム教徒ならその危険性がすぐわかるほど、大きな決意を示すシンボルが溢れていたのだそうだが、CIA職員たちにはその危険性がわからなかった。白人でキリスト教徒、高学歴と、生まれ育ったバックグラウンドにある共通認識に引っ張られてしまった。もし、イスラム教徒がひとりでもいれば、結果は違っていたかもしれないという。当時、日本人の自分のところにさえ、ビンラディンを名指しでまもなく何かをしでかすだろうというメルマガ情報が来ていたくらいだから、それを見過ごしてしまうというのは大失態だ。

アメリカとは人種のるつぼというほど溶け合っておらず、互いに断絶した集団が割拠しているだけの国なのかもしれない。そのことからくる危険性を察知して、過剰なほどのポリコレに繋がっているということなのだろう。イスラム教徒のニューヨーク市長が選出されたことも、多様性への渇望からかもしれない。
この多様性の問題は日本人にわかりにくいし、さらに疑問に感じるのは、日本は「単一民族による均質文化」というレッテルを貼られていることだ。日本人は人種の多様性はないかもしれないが、均質化どころか十人十色で、そもそも話の通じない人間もいる。同時多発テロを見過ごしてしまうほどの大きな穴があるとも思えない。単純に人種をミックスすれば多様性を獲得でき、組織の問題が解決するかのような考え方は乱暴に思える。

せっかく読んだのに、あまり理解できなかった。それくらいこの問題がわかりにくいのかもしれない。自分が歳だからかもしれないが。

タイトル画像の話 / もうすぐクリスマス

商店などで、いつからクリスマスのセールや装飾にするかはなかなか悩ましいところだろう。以前は年々早まってきた挙げ句、11月からという例もあったが、最近はブラックフライデーが挟まったので順当な感じになってきた。当サイトもそろそろということで。

フレーバーテキストは、暖炉のそばのクッキーをテーマにしたクリスマスソングの歌詞という注文をつけて、ChatGPTに作ってもらった。サンタクロースは暖炉から入ってきてプレゼントを置いていくので、子どもたちはお礼にクッキーを置いておくという、多分アメリカの可愛らしい風習を歌ったもの。コードまでついてきたが、メロディがあるわけではない。なんだかなじみのあるコード進行だし、いっそ作ってみようかなあ。

小さな手が、靴下を高くかける。
空の下では、雪の結晶が踊ってる。
ロウソクの灯に、ささやきが漂う――
今夜、サンタがやってくる!

暖炉のそばにクッキー、椅子にはミルク、
小さな心は、サンタが見つけてくれると願ってる。
夢はリボンで包まれて、やさしく、ほんとうに甘く、
クリスマスイブが輝くのは、君たちのおかげ

年寄の汚れた心も洗われるような、シンプルでほほえましい歌詞である。AIには実は「中の人」がいるのでなければ、ここだけクリスマスの魔法がかかったのかもしれない。