タイトル画像の話 / 椅子

今回のタイトルは椅子である。椅子というと、組織の役職や地位が思い浮かぶ。年齢のせいか、近年は知人の中にも組織のトップなどの地位に就く人が出てきた。いずれも長年その組織に尽くし手腕が認められ、いかにも良い人選だと思う人ばかりだが、同時に中年期に大きな病気をした人が多い。経済が停滞し始めた頃に働き盛りを迎えた世代だけに、無理に無理を重ねた上、高齢になってさらなる重責を担うことになるのだから、現代社会は厳しいものだと思う。

さて、CGは同じものを複製して整列させるというような作業が得意だ。ただし、そうしてできた画像には妙な違和感を感じることがある。例えば椅子を並べる場合、現実の世界ではどれほど精密に並べたつもりどこかずれたり曲がったりするが、それがないCG画面は、人の目には現実味がなく映ってしまうのかもしれない。

そこでなにかが整列している場面では、ごくわずかだけ前後左右にずらしたり、回転させたりすると落ち着いて見えるようになる。逆に無造作に放り出してあるという場面では、妙に作為的だったり整列された場所があるように見える。そこでこれまたひとつずつ微妙にずらしたり、回転させたり、いろいろ手をかけて無作為な感じを演出する。無作為にみせるために作為を尽くすのである。

Blenderでバーチャル名工

古い町並みのCG作品。それなりに仕上がってるようにも見えるが、実際に造形したのはモノクロ画の部分。昔のペーパークラフト画像をそのまま貼り付けただけだ。ここでは貼り付け画像にイラストを使ったが、実際の建物の写真を使ったり、もう少し細部の凹凸を作り込むと、リアルな写真と区別がつかなくなる。こういうことができるのがCGの面白さだ。最新の映画やゲームでも、精密なCGだけでなくこの程度のものも一瞬の背景などに使われていて、演算処理の時間や手間などコスト削減に活躍している。

ところで、ルイ16世はフランス革命期の国王でマリー・アントワネットの夫だが、錠前づくりが趣味だったという。もしかしたら鍛冶屋などモノづくりの才能を持ってたが、国王に生まれてしまった人かもしれない。王様だから錠前づくりでもなんでもやり放題だが、鍛冶屋に生まれていたらギロチンにはかけられなかっただろう。モノづくりには、地位などを超えた魅力があると思う。
日本人にも職人志向、モノづくり志向の人が多いように思うが、そういう職業につける人ばかりではない。大工や機械工になりたかったが事務職や接客業として暮らしている人も多いはずだ。とはいえ王侯貴族ではないので、趣味で大工道具や製造機械、工房を持つのはなかなか難しく、材料費もかかるし作品を置く場所もない。そういう人にはCGはうってつけの趣味だと思う。コンセプトカーの設計や大規模都市計画など、専門家のなかでも任されるのはごく一部の人だろうが、CGならやり放題である。さらに動画にしたり、3Dプリンタで現物化することもできる。
自分はいつもヘボCGを作りながら、こういうシステムが無償で使えることを知らずにいる、隠れた名工や天才がまだまだいるのではないかと気になっている。

斧は忘れる、切り株は忘れない

斧は忘れる、切り株は忘れない
このカテゴリーではお気に入りの映画の名台詞を紹介してきたが、これは格言だ。たしかレバノンのものだったと思う。捉え方で2通りの意味があって、自分が斧だと思う人には名言だが、自分が切り株だと思うなら、果てのない恨みの根と紛争の芽だ。互いに生まれてもいない時代の出来事について非難しあい、生まれて間もない者を犠牲にしてまで紛争を続けることになる。あの連中以外の人は、ちゃんと忘れたふりをして生きているのだが。

人生は鶏の尻、今日は卵、明日は糞
これはアフリカのことわざ。「アフリカ」とひとくくりにするのは好きじゃないが、国名は忘れてしまった。それならばと、ザルを持って待ち構える人と、ほうきを手にして追いかける人に分かれるかもしれない。

座右の銘は、必要な時に座右にあった試しがない
これは自作。「あのときこの言葉を知ってたなら」とか、「ちゃんと自分に言い聞かせていたはずなのに」とか、とにかく大きな代償を費やした挙げ句に出来上がったものだ。

ところで最近は我ながらよくウソをつく。同世代の女性には「おや、どこの娘さんかと思った」くらいは言うし、昔の同級生になら、運動部に入っていただけで「スポーツ万能だった」、友達が何人かいたというだけで「クラスの人気者だった」という調子である。
この歳になるとだれも褒めてくれない。赤ん坊の時のように立って歩いただけで絶賛して欲しい、とまでは言わないが、実情は立って歩くだけで結構つらい思いをして頑張ってることもある。だからみんな見え見えのおべんちゃらでも、「またまた、冗談ばっかり!」とか言いながら、かなりうれしそうだ。間違ったことを言ってるかもしれないが、間違ったことはしていないと思う。
でも本当の年寄りのウソは、もう少し情けないものである。

年寄りの言葉はウソまみれだ。届かなかった夢や果たせなかった約束が多すぎて、とても現実を直視できないから
これも自作だ。