政府備蓄米

昨年末に政府備蓄米を買った。5kg1980円と流石に安い。袋には「国産備蓄米」と大書してあるほか、精米日は書いてあったが生産年度の表示はなかった。精米は買ったスーパー自身ということになっている。
あれだけ大騒ぎになったのだから、見つけたら絶対に買ったはずだが、店頭で見かけたのは今回初めてである。出回った量そのものがかなり少ない印象だ。平成の米騒動の際は有権者からの要望を待つまでもなくタイから緊急輸入された。あの時できたことがなぜ今できないのか、よくわからない。

米そのものは古いものなのだろうが、精米日が近いので外見上の問題は見当たらない。白化した米粒が多少あるが、これは古いからではなく最初から含まれていたもののはず。高級銘柄を備蓄するはずがないので、もともとこの程度のクオリティだったのだろう。肝心の味は粘りやコシは弱く、さすがに良くはない。

こういう米を見ると、寺で生まれ育った自分は別な感慨がある。よく僧侶には肉食、飲酒、妻帯などの戒律があると言われているが、実際それらは国や宗派、時代、師匠や僧侶の考え方やによって違い、修行時期だけのものだったする。だが、これだけは守らなくてはいけない戒律以前の心得が、「供された食べ物はすべて食べる」ということである。どんなに貧しい家庭の粗末な食器、料理でも、極端な場合は病気かもしれない人からのものでさえも全てだ。
さらに昔は「供米」という風習があった。信徒さんが食べている米の一部を袋に詰めてきたり、農家がその年の収穫を持ってきたするのだが、当時の北海道の米は味が悪かった。さらに不作の年も多く、そんな時は白化だけでなく緑色だったり粒が小さかったりで、味も今の備蓄米のほうがはるかにましだ。新潟県人なら我慢できないが、料理上手なら使いようがあるというところだろう。

若い人に聞くと給与は上がりつつあるが、物価の高騰には追いついていないらしい。若いうちは勉強、教養、デートと、一生に関わることに金がかかる。味は我慢してもらうこととして、備蓄米が若い人が優先的に手に入り、せめて腹一杯に食べられるようにできないかと思った。

ほうじ茶と焙烙

抹茶は海外でもすっかりポピュラーになり、さらに最近は麦茶や玄米茶、ほうじ茶も知られてきたという。ほうじ茶は香ばしくて飲みやすいので、初めての人でも抵抗がないのだろう。ほうじ茶にもわずかにカフェインが残っているらしいので、コーヒー、紅茶の代わりにもなる。
ほうじ茶は、茎などが含まれた緑茶の規格外品、「番外茶」を焙煎して作る。ほうじ茶を「番茶」と言う人がいるのはこのため。お茶屋さんの良い香りは、ほうじ茶を焙煎している匂いだ。

ほうじ茶は、焙烙(ほうろく)という素焼きの焙煎機を使って、自分で作ることもできる。お茶屋さんでほうじ茶にすると言えば、材料の番茶や焙烙が手に入ると思う。市販のほうじ茶も、焙烙で軽く焙煎し直してから煎れると格段に風味が良くなる。素焼きの焙烙の形も素朴で味わいがある。焙じた茶葉は筒状の持ち手から出す。茶道と違って、安いお茶を美味しく飲もうという庶民の知恵だ。風流とまでは行かないが、来客の前でひと手間かけて焙じて見せれば、立ち込める香りも何よりのもてなしになる。

こういうのは外国人が好きそうだ。まだ知られてないと思うが、そのうち海外で流行るかもしれない。

解凍食品

先日、新メニュー「冷やしおでん大根」を作った。作り方は同じで冷やすだけだが、冷たさが効きそうなので大根だけにした。冷蔵庫でしっかり冷やしてから食べると、案の定、甘さと冷えが腹の底まで染み渡るようだ。問題は調理中が暑いこと。下茹でやだし汁での煮込み中の熱だけでなく、自然に温度を下げる間室内に熱源を置きっぱなしになる。夏にこそ食べたいが絶対に作りたくないメニューである。

実は最近冷凍の大判焼きを買う。レンジでなく自然解凍もでき焼き立てとは言わないが、家庭まで持ち帰って食べるのと変わりない。解凍途中で食べても、あずきやカスタードアイスの醍醐味もある。
他の料理でも自然解凍するだけで食べられるものがないか。そう思ってスーパーの冷食売り場を見たのだが、そういうものは見当たらなかった。強いて言えばお菓子類だけ、それもよりどりみどりと言うほどはない。料理類は熱を通すことが前提のものばかりだった。

調理の熱を出さずに自然解凍するだけで、好きな溶け具合で食べる、いわば「解凍食品」。冷食メーカーはなんとか栄養のあるメニューのバリエーションを増やしてくれないだろうか。でないと、冷凍ブロッコリをざく切りにして、ポン酢とマヨネーズをかけてかっ込んでしまいそうだ。