オデッセイ(2015 アメリカ映画)

何年か前から、久しぶりにSFらしいSF映画が立て続けに封切られているなと思っていたが、なんとなく見逃していた。これはそんな作品のひとつ。

洋画の邦題のつけかたがおかしいのは有名だが、これもまた、どこにも”オデッセイ”な冒険や活劇はない。原題の「the martian(火星の人)」が示すとおりに、事故で火星に一人で取り残された宇宙飛行士と、生還のために奔走するNASAなど、地球側の話だ。ロビンソン・クルーソーと、名作映画「アポロ13」をミックスして、徹底的な科学考証を施したような映画である。美しい映像と、火星で生き抜くためのアイデアを、主人公の身になって味わう。そんな地味な映画でもある。

この作品に悪意を持った人物は出てこないし、人間関係の軋轢も描かれない。とりわけ主人公は絶望的な状況でも常にポジティブで、悲嘆にくれたり癇癪を起こすこともない。テーマから予想される重苦しさは全くないのが映画としては少々異色だが、宇宙飛行士は世界中で最もポジティブな思考の者から選ばれ、そのチームは個性や相性が徹底的に調査され、テストされて編成されるのだから、実は非常にリアリティがある。

エンドクレジットにNASA関係者が何名も名を連ねていただけあって、科学的考証が徹底している。寒さをしのぐため、使用済み核廃棄物のケースを取り出してその熱を利用したり、活動停止した火星探査車を掘り出して修理し、限定された能力の範囲内で地球との通信を回復したりと、まるでNASAで実際に行われる遭難を想定した議論を、そのまま映像化したようだ。

出港はいつ?映画「バトルシップ」

6月17日、アメリカのイージス艦とコンテナ船が衝突。このため、映画「バトルシップ」のTV放映が中止になった。(この記事参照)その後、9月に放映されることになった矢先の8月21日、今度はマラッカ海峡でアメリカ駆逐艦「ジョン・S・マッケイン」がタンカーと衝突事故を起こし、今回も犠牲者が出た。

さて、これはどういうことだろうか?戦艦とは言え貨物船が衝突すれば、犠牲者が出るほどの被害を受けることは前回で分かった。2度めというのが、偶然だけではなく何らかの原因があるとすれば、米海軍の士気が下がったり、訓練不足の兵士が乗船しているのか。そうだとしても操船だけはベテランが担当するだろうから、原因としては考えにくい。では、アジアの情勢が不安定になる中で、イレギュラーで無理のある行動をとっているのだろうか。だとしても、6月に事故を起こしたばかりで、立て続けというのはないと信じたい。

では、民間船側に原因があるとすれば、テロだろうか。これも考えにくいことではあるが、もちろんアメリカはその可能性も真っ先に検討しているだろう。それまで通常の業務をこなしていた、互いに無関係なはずの2隻の乗組員がすべてテロリストに入れ替わるというのも考えにくい。が、マラッカ海峡といえば、海賊の名所だ。海賊と言っても海賊保険のようなものもあるだろうし、乗組員が命をかけて抵抗する必要はない。船主と海賊の、金銭の交渉だけなので、乗組員はあっさり「海賊」を乗船させてしまうかもしれない。

船籍も目的地もはっきりしている民間船が、多少不自然に近づいてきただけで、ミサイルをぶっ放すわけにはいかないだろう。が、それまで互いに手でも振ってればよかったのに、民間船が見えたら米軍は射撃準備くらいはするかもしれないし、民間船も心中穏やかではなくなるだろう。

ちなみに映画のほうは、なんとなく不穏な空気を吹き飛ばしてくれる、痛快娯楽作品である。

日本映画とCG

伊丹十三監督が亡くなって以来、長らく日本映画を見ていない。あまりに長いこと見てないので、何が不満でそうなったかも忘れそうだが、とりあえず声が聞き取りにくい。これは、未だに現場での音を拾って済ませており、サウンドデザイナーがいないからだと聞いた。さもありなんである。さらに最近は、漫画原作の作品が多すぎる。漫画があれば、背景から登場人物の服装、カメラアングルまで、すべて超丁寧な絵コンテができているのと同じ。それを忠実に撮影すればいいだけだ。そんな安直さを感じる。これらの不満よりも特に気になるのはCGのひどさだ。

さて、北海道が世界に誇る漫画家、荒川弘の代表作「鋼の錬金術師」が映画化されると聞いて、ちょっとだけ予告を見てみた。で、わかっていたことだが、やはり失望した。

見るからに子供だましのCG。これでも制作会社の社長は、映画監督でCG製作者だという。

CGが悪いのではない。それどころか現代では、映画とはCGのことともいえる。CGが使えないのは、カメラを回せないのと同じだ。ここで「タクシー・ドライバー」や「ニューヨーク・ニューヨーク」のマーティン・スコセッシ監督の、はじめてのCG作品「ヒューゴ」のオープニングを見てみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=aSTnmEEotCQ
この中で、街並みも屋内もほぼCGである。群衆の多くもそうかもしれないが、判別がつかない。おそらく実際のスタジオでは俳優の足元以外、ほとんどがブルーシートだろうと思う。もともとCGはイマジネーションを絵にするため、映画界から生まれた技術と言ってもいいくらいだ。制作会社は大作を作るたびに専用のプログラムを開発し、それが一般用に公開されることも多い。日本でもアニメの世界では制作会社にはプログラム開発力が必須で、ジブリなどは、自作のソフトを公開している。
実写映画ではそこまでいかないようで、いつまでたっても江戸城の代わりに彦根城が登場し、新内閣誕生の記念写真は国立博物館のエントランスで撮られ、国会議事堂の廊下での密談は焼肉屋で撮影される。こういう何度も登場する背景は、なぜCGモデルを作っておかないのだろう。そうすれば議事堂内の銃撃戦でも、スカイツリーの鉄骨にひっかかったヒロインをダイブして助けるのも、自由自在なのに。

CGがSFやファンタジーだけのものだと思ったり、抵抗感がある人は、日本映画のできの悪いCGを見せられたからだと思う。

このCMに登場するのは、CGである。それを知った上で、ヘプバーンのファンは心のないCGは二度と見たくないと思うだろうか。それとも、心にこみあげるものを感じるだろうか。